廃止直前きたぐに号 最後の583系定期列車に乗る旅


▲【写真】きたぐに号 過去に乗った直江津駅の写真

急行きたぐにが廃止されるーーー衝撃的なニュースが飛び込んできた。利用率低下により臨時列車化。北陸新幹線開業まで残ると信じていた583系の定期列車は姿を消す。僕が今まできたぐにに乗ったのは通算4回。米原から新潟、長岡から大阪、直江津から新津、糸魚川から大阪・・・寝台、グリーン、自由席のすべてを経験した。とはいっても、ただ目的地に向かうための移動手段ではない。僕は東京に住んでいるから、いずれも、目的地に行くことだけを考えれば日本海側を一切通らなくて済む旅行だった。しかし、あえて遠回りを選ぶのはきたぐ号という特異な存在そのもの、日本が持っていたエネルギーが作り上げた583系、偉大なる北陸本線、日本海の厳しくも美しい風景が織り混ざり、えもいわれぬ旅情をかきたてるからにほかならない。

きたぐに号から見れる風景は昭和そのものだ。大きい駅にも、小さい駅にもこまめに停車し、沿線から乗客を拾い、降ろして行く。終着駅まで行こうとする大きなスーツケースを持つ客もいれば、夜中にたった数駅間の移動をする人もいる。これらの風景は昭和ならどこを見てもあったと聞くが、いつのまにかこれほどまでに多くの用途で利用される夜行列車は、日本中どこを探してもきたぐに号が最後になってしまった。

しばしばライフスタイルの変化や新幹線の台頭でこうした夜行列車の需要が低下していると聞く。しかしきたぐに号と張り合えるライバルは今日まで存在しなかったし、それなりの需要もあったはずだ。(メディアに公開されるパーセンテージ上は低いが)
老朽化にしても、新幹線開業までは定期列車として走らせられるはずだ。40年選手の583系も、堅牢な車体設計と整備のおかげで良好な走行性能を維持し続けている。
だから残念ながら僕は廃止の理由が、結局面倒くさいからが本音なんじゃないかと思った。一日一往復のために583系を維持するのは、修繕やパーツ交換も金がかかる割に、もうからない。新幹線のような隔離された高規格路線ではなく、いくつもの在来線に跨り運転される長距離急行は、どこかで遅延が発生するとその先の行程に重大な影響を与える。そのために夜な夜な働かなくてはならない社員の人件費だって必要だし、遅延や運休にはJR東日本、西日本間での調整も必要である。これは仮に赤字にはならなかったとしても、明らかに儲かるビジネスではない。

JRと国鉄の大きな違いはここだ。国鉄はたとえ儲からなくとも、需要があれば(あるいはなくても)列車を走らせ続けた。だが民営化では限りある経営資源をより利益レバレッジの高いビジネスに集中的に投入する必要がある。それが新幹線のような「時代のスピードにあった乗り物」だ。今までだって、いつでもきたぐには廃止できたと思うが、一方でそれを使いたいとする需要も高かったはずだから、あとはタイミングの問題だったのだろう。正直新幹線開業までは残ると思っていたから、寝台特急日本海ともどもなくなってしまうのは驚きだった。やっぱり、北陸本線の輸送形態が大きく変わろうとしている中、昭和からほとんど変わらない夜行列車という存在を維持し続けるのは相当ムリがあったのかもしれない。


▲急行きたぐにのベテランコンダクター。以前訪れた夏の早朝の直江津駅。

僕は最後の昭和を垣間見るために、もう一度きたぐにに乗車することを決めた。もちろん、全線走破で。金曜日発の大阪行ききたぐに号、全車満席のキャンセル待ちを狙い、A寝台下段を予約した。

しかし早速肩すかしを食らう。日本海側は大雪の「予報」。同日の午前11時に早々と運休となってしまった。理由はわからなくともない。確かに2012年は特雪が何回も走るほどの記録的な大雪だ。でも他の特急はきちんと走っている。きたぐには夜行だから、性質が異なることは重々承知だが、これまで、運休なんて滅多になかった。数年前なら絶対に走っていたはず。走りたくとも走りだせないことが、なぜか自分のことのように、悔しかった。全席満席なのに、こんなに早くから見切りをつけられてしまった。結局、僕はこの日旅に出ることができなかった。


▲【写真】以前乗車したときのB寝台上段

翌土曜日も、運休した。同じように午前中のうちに、運休が決まった。でも実際には大雪ではなかったらしい。ならばなぜ走らないのか。もうきたぐにの時代は、完全に終わったってことか。もう乗れる機会はないのかもしれないと思い始めた。次の週の休みが、僕にとって都合がつけられる最後のチャンスだ。そう思い、翌週土曜日のB寝台下段を予約した。

当日は金曜日から雪が降り続けていた。金曜日の便は、ほとんど満席だったにもかかわらずまたもや運休。雪が降ったら運休という図式が完全にできあがっていたかのように見えた。しかも今日は暴風雪との予報。昨日より悪いじゃないか!だがもう、腹を括って東京の家をあとにすることにした。運休なら、それが運命だ。そう思って、大宮発十日町行きほくほく十日町雪まつり号に乗車した。

大宮運輸区所有の国鉄色183系がホームに滑り込んでくる。乗車率は窓側が中心に埋まるものの、空席も十分にありほどほどと言った印象。1時間もすぎると、ほっとするような田園風景に車窓が変わり、やがて雪で染まった。水上に着く頃には、外一面が真っ白になるほどだった。しきりにiPhoneで、長距離列車の運行情報をリロードした。11時、12時、13時・・・まだきたぐにの情報は入ってこない。ロードするたびに、心臓の音が聞こえるようだ。
運転するのか?それともどんでん返しか?そんな不安がつきまとう中、ついに列車は越後湯沢に到着した。


▲【写真】はくたか号と並ぶほくほく十日町雪まつり号

もし運休なら、越後湯沢で気楽に観光して引き返すつもりだったが、まだ何の情報も入らない。駅ナカの温泉につかり、茶漬けを食べ、日本酒の試飲コーナーで新潟県のうまい地酒を飲み、できる限りエンジョイした。まだ運休の二文字はない。時計はすでに16時。決断した。よし、今日は走ってくれるってことだな!そう信じ長岡行の普通列車に乗り込んだ。


▲【写真】長岡駅到着時には雪まみれとなった115系

今回の旅は、本気だった。西村京太郎のトラベルミステリーを古本屋で買ったりして、サスペンスドラマと同じ情景を現実で見ながら移動を楽しんだ。長岡に着く頃には、115系はすでに雪まみれ。ダイヤも少しだけ、遅れた。続けて長岡からは、新潟行きくびき野に乗車。奮発してグリーン車に乗車。自由席は混み合っているが、アッパークラスは自分だけで貸し切り状態。快適なソファに腰掛け、優美な時間を愉しむ。やっぱり首都圏のグリーン車と違い、重厚感とぬくもりがある。ホームは閑散としているのに、ちゃんとグリーン車がつながっている。このギャップがたまらない。


▲【写真】土曜日はがらがらの半室グリーン車


▲【写真】半室指定席車両から見るグリーン車のドア


▲【写真】折り返しを待つくびき野号

新潟に到着。くびき野は小休憩のあと、すぐさま直江津方面に折り返して行った。そして問題のきたぐには、今日こそ運転されるらしい!再会が、目前に迫った。


新潟駅に付随する飲食店で、民謡を聞きながらイカ焼き定食を食べる。軽く醤油をかけたイカを、コシヒカリと一緒に頬張り、外に積み上がった雪を眺めながらビールを楽しむ。それにしても今日は、東京では味わうことができないぜいたくな時間を味わっていることを実感する。

店を出たあと、まだ時間があったから、ワインをのみながら到着を待つことにした。僕は旅行をしながら、次の旅行の計画を立てるのが好きだった。そうすれば今の旅行が終わった後も、充実感とともに次の旅行への思いをはせることができるからだ。きたぐにがなくなったら、もう僕が魅力を感じる列車はもうほとんどない。残りはブルートレインくらいだが、おそらく国鉄型が無くなったらもう乗り鉄なんてしなくなるだろう。それでも乗り鉄をするとしたら、客車の雰囲気が存分に味わえるヨーロッパか東南アジアか・・・。日本の鉄道は、便利でスマートになりすぎ、移動以外に感じられた楽しさが何時の間にか消えて行こうとしている。

ついにホームに降りた。すでにかなり多くのファンが入線を心待ちにしている。雪の中に映る白い吐息の多さが改めてこの急行の人気の高さを物語っていた。

3灯の特徴的な明かりが遠くで見えた。きたぐにだ!その場にいた全員が、熱い視線を向ける。老いを感じさせない洗練されたフロントマスクとともに、長い長い後続車両がゆっくりとホームに入り、静かに止まった。最後尾の車両は空港に降り立った人気俳優のようにフラッシュを浴びせられている。僕はすべての車両を眺めるため、ゆっくりとカメラを回しながら先頭車に向けて歩き始めた。自由席、グリーン車、寝台車と、それぞれの窓の中にいる乗客にはそれぞれの物語があるような気がした。広い四人がけのクロスシートに腰掛けて窓の外をみている人たちは、どこまでいくのだろうか。

先頭車両のホームは雪に覆われており、到達するのも一苦労だった。まともな写真はとれなかったけれども、楽しげに記念撮影をする家族やファンの姿が印象的だ。そろそろ自分のベッドに行こう。9号車3番の下段へ、通路を進んだ。


▲【写真】新潟駅で発車を待つ583系きたぐに号

あっという間に発車時間となった。急行きたぐにはゆっくりと、静かに、新潟駅をあとにした。電子オルゴールのメロディーが鳴り終えると、関西弁の車掌がこれからの行程を案内する。小さな町の駅にも停車を行い、少しずつ乗客を拾い、そして少しずつ降ろしていく。この列車の性格は、そのルーツを遡る1960年代の夜行列車時代から何ら変わっていない。新津、加茂、東三条。停車をこなすたびに、雪が容赦なく入り込み折戸式ドアの周りには一瞬で吹き溜まりができる。そして再び走りだすと、雪の積もった通過駅のホームには、もう誰も人の影がなくなった。日本海側の雪は、想像以上に過酷だ。その雪が吹きつける厳しい闇の中を、きたぐにはひたむきに大阪を目指して走り続ける。

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新潟駅で買ったビールをあける。僕の乗った8号車は、三段目の寝台までほぼ満員という乗車率であったにもかかわらず、人の気配を全く感じないほど静まり返っていた。凍てつくような吹雪の夜。夜景という言葉の持つイメージとはかけ離れた車窓を覗きながら、少しだけセンチメンタルな気分に浸る。今日のきたぐには、いつもより昭和という時代に、近付いている気がする。

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夜は更け、長岡、日付が変わって直江津に到着する。吹雪はさっきよりも弱くなった。しかし、屋根があるはずのホームの下に、大量の雪が降り積もっている。ダイヤも20分ほど遅れているようだ。しばらく停車したのち、発車。さすがにもう遅い時間なので、明日に備えて寝ることにした。

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***

暗闇のなかで目を覚ます。時計を見ると、もう少しで朝の5時半という時刻だ。列車は走っている気配がない。カーテンを開けると、目の前には人の背丈よりもはるかに高いと思われる雪の壁があった。どうやら大雪の影響で、列車は止まっていたらしい。しばらくするとゆっくりと走り出し、駅に滑り込んだ。どこの駅だろう。眠い目をこすると、遠くに福井という文字が見えた。なんとまだ福井駅にいた。外は真っ暗だが、もう時計は6時を回っている。写真のフラット音を響かせながらゆっくりと発車すると、今朝初めての車内放送が始まった。どうやら先行する貨物列車が車両不具合をおこし、どこかで足止めを食らっていたらしい。目を覚ましたら北陸は抜けているだろうと思ったが、そんな甘くはなかった。たっぷり2時間遅れている。

夜空は次第に朝焼けになり、そして太陽が見え、青空になっていく。ついに吹雪は消え去った。列車は順調に飛ばし、かなりのスピードをキープできるようになった。米原駅を過ぎると、田園地帯が一面真っ白になっていた。しかしその銀世界の真中で、大きなズームレンズを構えたファンが一列に並び、夢中でシャッターを切っている姿が見えた。少なくとも2時間前にはここを通り過ぎているはずだから、ずっと彼らはここで待っていたのかもしれない。もう、さようならまでのカウントダウンは、とっくに始まっていることが実感できた。雪まみれになりながら猛スピードで疾走する老雄の姿は、きっと勇ましかっただろう。列車が進むに連れて雪はどんどん量が減り、京都につく頃には皆無となった。ここから比べると北陸の景色は異世界かもしれない。平和な日常へとたどり着き、ほっとした気持ちなる。京都を後にすると、最後の力走。あっという間に大阪へと到着した。

待ち構えていたファンがきたぐにを迎え、北陸の雪がついたフロントフェイスにレンズを向ける。太陽の光のもとで、今回はじめて583系の姿をあらためて眺める。重厚だが洗練されたデザイン、卓越したエンジニアリングで生まれた画期的な車両は、これからも、ずっと走り続けられそうな気がした。本当はそうであってほしいが、もう定期運用はあと数日をもって終わる。ここまで続いた、昭和の伝統が、今まさに消えようとしている。到着が遅れたため、もう回送が始まるようだ。僕は最大限の敬意を持ってきたぐにを見送ることにした。ありがとう。急行きたぐに。

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※一応ビデオを回していたのだが、回送シーンはカメラの前に出てきたおっさんの顔しか映っていないので、これはお蔵入りとさせていただく。その代わりとして、これまで乗った際の回送シーンを、掲載したい。

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国鉄型HD について

国鉄型をこよなく愛する自由人。小型カメラを片手に日本全国どこへでも。

投稿日: 3月 4, 2012 | カテゴリー: 国鉄型乗り鉄記 | パーマリンク コメントする.

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