カテゴリー別アーカイブ: 国鉄型乗り鉄記

急行はまなすに、気が済むまで乗車する

寝台特急が廃止されるたびに、「一度は乗ってみたかったよねぇ」という声が聞こえてくる。不可抗力で乗れなかったのか、それとも単にプライオリティが高くなかったかは定かではないが、後々惜しむことになるのであれば、多少無理して予定を作ってでも、乗りに行く行動力が大切だ。それに、「一度は」ではなく、「二度でも三度でも」気が済むまで乗ればいいと思う。

「急行はまなす」は、北海道新幹線開業の裏で姿を消した。これぞ汽車旅という雰囲気を残す最後の大変貴重な急行列車だった。以前も一度乗車したことがあったけれど、僕は廃止前に「はまなす」を乗り納めすることを主目的にしつつ、北海道に行く旅程を組んだ。

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青森駅から札幌駅までB寝台を選んだ。行きも帰りも満員御礼。指定席も寝台も、すべて埋まっていた。1号車と2号車の間に、21号車というとんでもないナンバリングの車両が増結されていた。きれいに塗り直されている車体もあるが、ごく一部。ほとんどの車両は全体的に退色し、ひどく傷んでいる。きちんとメンテナンスしたほうがいいのではと可哀想になってくるが、これでいいのだ。ステンレスでギラついた都会とは真逆の、ノスタルジックな世界へと誘ってくれる。寝台車の廊下側に設置されている折りたたみ椅子に座りながら、ハイケンスのセレナーデに続く車掌の声を注意深く聞いた。

青森を出たあとは、函館0:44、長万部3:07…

通常の生活時間帯とはかけ離れた時刻を聞くたびに、はまなすがこの時代まで残ってくれたありがたみを感じた。ほどなく、列車は青函トンネルへと入る。青函トンネルの中に無数に設置された蛍光灯の光が、どんどん後方へと飛んで行く。もう列車は深夜帯を迎え、ほとんどの乗客は眠りについていた。僕は乗客の眠りを妨げないように注意を払いながら、車内を探索することにした。

自由席は、全体的にけだるい雰囲気に包まれていた。簡易リクライニングシートは眠るポジションを見つけるのに苦労するが、持参のアイマスクと枕を使う者、二席を使って横になる者、席を反転させて眠る者など、思い思いの寝相で目的地を目指す。欧米から来たバックパッカーも、フリー乗車券を活用してこの車両に乗り込んでいた。

指定席は簡易リクライニングシートとドリームカー仕様のソファ席があるが、どちらに当たるかで明暗が分かれる。ソファ席は確かに快適だ。車内は減光され、いよいよ夜汽車の雰囲気を演出する。者端部にはミニロビーが設置されており、鉄道ファンと思われるグループ客が談笑している。

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開放型B寝台は、居合わせた人との社交場になることも多い。以前北斗星に乗車したときは、下段にいた大学生の子と、挨拶がてら一緒にワインを飲みながらお互いの旅の計画を語った思い出もあったが、この日は発車前からとにかくひっそりとしていた。「はまなす」は出発時間が遅い上、楽しい長旅というよりも、出張や帰省など、生活のための列車という性格が強い。車両に一人窓の外を見つめる人がいる程度で、ひとりとして話しているものはいなかった。

青函トンネルを抜けてしばらくすると、函館駅に静かに滑りこんだ。ここでは長い運転停車が発生する。たくさんの乗客がホームへと降り、機関車の交換作業に熱い視線を送っている。もう深夜だというのに、駅は昼よりもにぎやかだった。新幹線が開通したあと、この活気に満ち溢れたプラットフォームは、ウソのように静まり返ることになるだろう。そう思うと、やはり少しさびしい気持ちになる。編成を先端から末端まで見たあと、またベッドに戻り、眠りについた。そこからは、心地よい音と振動がリラックスさせてくれたのか、札幌駅到着直前になるまで、ずっと眠りの世界に入っていた。

翌06:07、定刻に札幌駅到着。ここでは車両をバックに記念撮影をする親子が目立った。きっと小さな男の子にとって寝台車は秘密基地のようなメカニカルな空間で、いい思い出になっただろうと思う。

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結局僕は、その後も復路でB寝台に乗車した。そして2016年の年始にも懲りずに「函館旅行」をでっちあげ、奥さんと自由席に乗車した。きっと素人目にはただのボロい列車と思われるんだろうと思っていたが、奥さんはなぜか直前に乗った新青森からの701系で青函トンネルを乗り越えると勘違いしていたようで、はまなすはとても快適で楽しい列車だったと、意外な反応を示した。函館駅では、新幹線開業までの日数がLEDに表示されていた。これは同時に、急行消滅までのカウントダウンとほぼイコールでもあった。僕は計4回、はまなすに乗車するチャンスに恵まれた。十分楽しんだけれど、やっぱりこの先もずっと無くなってほしくないという気持ちが本音だ。新幹線開通という廃止理由にちょっとしたわだかまりを感じながら、それでも最後の最後まで残った偉大な急行列車を、僕は心のなかで拍手をしながら見送った。

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国鉄王国「北陸本線」の終焉、さらば正統派急行形455系・475系

<参考:475系運用一覧>

2015/2/22時点。運用は変更されることがあります。以下の車両運用の正確性について、国鉄型HDは一切責任を持ちません。

列車番号 出発 到着 区間
423M(413系代走?) 5:59 7:04 金沢-富山
427M 6:50 8:38 金沢-黒部
471M 17:38 20:05 金沢-糸魚川
483M 19:55 20:55 金沢-富山
524M 6:42 8:44 泊-金沢
526M 6:36 9:17 糸魚川-金沢
9430M(土日) 9:17 10:06 富山-金沢
536M 8:55 9:25 黒部-富山
466M 18:29 19:39 富山-金沢

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北陸本線で正統派の国鉄急行形、475系が最後の力走を続けている。北陸新幹線開業後、新潟、富山、石川をまたぐ北陸本線は第三セクターへ転換されると同時に、475系の引退がほぼ確実視されている。

ほんの数年前まで、まさに北陸本線は国鉄型の楽園であった。昼は、地域輸送を支える413系・475系、キハ58系、「魔改造」こと419系、大阪・新潟からは485系、夜になると583系急行きたぐに489系急行能登(稀に特急はくたか代走)、寝台特急北陸、日本海・・・。北陸地方のターミナルは、どの駅だって長時間居座っても飽きることがなかった。交直両用でないと走れないという特殊な環境と、JR西日本の台所事情により、まさに30年前にタイムスリップをしたかのような古き良き車両たちがそのまま残った。高度経済成長期から続くその活躍年数が高い信頼性を裏付けている。

北陸地方の都市からは、古いものを大切にしながらも、先進的で優れたものを受け入れていく姿勢が垣間見れる。例えば金沢は、伝統的な町並みと、21世紀美術館やJR金沢駅などの洗練されたデザインが、うまく調和しながら共存している。デザインの公共性というものをよく考え、時代を超える価値があるものを見極める力がないと、このような街を作ることはできない。北陸地方の都市で未だ現役で路面電車が活躍していることも、その例のひとつといえる。

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▲風情ある金沢の町並み

首都圏からは時間的な距離がずいぶんとあったが、それでも行く甲斐のある街ばかりだと思う。しかし、新幹線の登場で、少しずつ変化が出てくるのかもしれない。

日本屈指の幹線である北陸本線。そんな国鉄王国が終焉を迎えようとしている。最後の正統派国鉄型の生き残りが、この475系と言えるだろう。兄弟車種である455系は、子供の頃によく乗っていた車輌であるから、実に思い出深い。このルポでは、2012年と2015年に訪れた時の状況を、比較しながら執筆していく。

2012年夏

2012年は「急行きたぐに」「寝台特急日本海」の定期運用が消滅し、臨時運行に切り替わった年だった。寂しいニュースが少しずつ増え始めたのは、この頃だったように思う。僕はこの年の夏も、東京から北陸へ出向いた。ちなみにその時に使った列車も、今はなき「ムーンライトえちご」であり、まさかこちらも2年以内に無くなってしまうとは、夢にも思っていなかった。

DSC00741f223467472▲きたぐに、日本海の乗車案内と475系。このような風景はもう二度と再現できない

早朝の長岡で同時期に臨時化された寝台特急日本海を見送ってから、鈍行を乗り継ぎ直江津まで向かう。直江津では、ネットでの情報通り、475系がホームで待っていた。まずは、「親不知」へと向かう。

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親不知は無人駅だ。観光客が降りるような要素はない。けれども、北陸自動車道と国道が急な岸壁への建設を避け、高架上に突き出しているという特長ある風景を見て、以前素通りした時に次回の訪問時はぜひ下車してみようと思った場所だった。

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見事に晴れた夏の一日。駅の日陰で爽やかな海風を浴びながら、しばらく次の列車を静かに待つ。駅舎は僕以外に誰もいない。しばらくすると、また475系がやってくる。今度はなんと幸運なのだろうか、国鉄急行色に塗り替えられた475系A19編成だった。

しばらく国鉄型モーターの音に聞き入り、金沢駅へ。到着すると回送となり、車庫に引き返す。この大型のヘッドライト(いわゆるデカ目)は白熱灯を用いたもので、実にゆっくりと時間をかけて明るくなる。

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金沢駅のプラットフォームから、姿が見えなくなるまで見送った。これ以降、僕は国鉄急行色のA19編成に再会できていない。もしかすると、次にお目にかかるのはどこかの博物館かもしれない。

2015年冬

2年半ぶりに金沢を訪れた。しかし、以前と状況は全く異なっていた。すでに475系の運用が大幅に削減されたあとであった。朝と夕方の運用しか残されていないなんて、少し前までは考えられない状況だ。乗った列車は金沢駅を17:38に発車する普通糸魚川行き471M。富山までの約1時間、夜の風景を楽しむ。

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北陸の475系は2ドアによる遅延影響を考慮してか、デッキ部分の扉が省略される工事を行ったものがある。急行形特有の重厚感は少し失われてはいるものの、まだまだ趣ある箇所が随所に残っている。例えば運転台。6両編成の場合は、中間車両でじっくりと観察することができる。レトロ感あふれる運転台が、白熱灯のやわらかいライティングで照らされる。このやさしさは、デジタル制御の計器類と発光ダイオードでは絶対に生み出すことができない味わいだ。

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通気口や窓の多さなど、急行形の設計はいろいろな条件下で快適に過ごせるよう当時なりの工夫がされており、今主流のコストダウンという考え方とはある意味真逆とも言えるかもしれない。今となっては無駄とも言える設計も垣間見えるが、それもまたいい味わいを醸し出している。

▼別のタイミングで撮影したB11編成(475系+412系のレア編成)の車内探索動画

ゆっくりと、夜の金沢駅を発車する。三連休の中日。車内はまずまずの乗車率だ。少なくとも、都市間輸送では北陸本線はうまく機能しているように見える。その生態系は、新幹線開業後どのように変化するのだろうか。そんなことを、真新しい高架橋を見上げながら思う。新幹線と並走する区間がそれぞれえちごトキめき鉄道、あいの風とやま鉄道、IRいしかわ鉄道になる。

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列車は遅れることなく、確実にダイヤをこなしていく。ホームに到着するたびに一枚の大きな片開き扉が開閉する。この扉も、もはや特急形・グリーン車を除いては絶滅危惧種である。

ホームに降りる。この日は、真冬だというのに、雪ではなく冷たい雨が降っている。もしかしたら、元気に動き続ける475系に乗るのは、これが最後かもしれない。しかし、悔いはない。今日はお別れの挨拶をしに、北陸まで来たのだから。子供の頃から、本当に長い間、僕はこの形式の車両にお世話になったのだと、しみじみ思う。

車齢が40年を超えてなお大切に使われる475系によって北陸の都市間輸送が支えられてきた。しかし、もうすぐ記憶の中にしか存在しないノスタルジーになろうとしている。都市間交通という軸で考えた場合、475系亡き後の変化は、歓迎すべきか、悲観すべきか。今後も北陸から目が離せない。

北陸本線運転席展望475系 金沢⇒富山/413系 富山⇒直江津 豪華2枚組 [DVD]
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運転室展望ファイルVOL.16 JR西日本 475系普通列車 北陸本線 富山~直江津 [DVD]
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至高の休日、台湾の客レ「普快車」で過ごす土曜日

台湾鉄道の旅 完全ガイド 初めてでも気軽に楽しめる! 新幹線から懐かしの旧型客車まで (イカロス・ムック)
台湾鉄道の旅 完全ガイド 初めてでも気軽に楽しめる! 新幹線から懐かしの旧型客車まで (イカロス・ムック)

偶然にも、仕事でとあるスタートアッププロジェクトに携わることになり、台湾を初めて訪れることとなった。20カ国目の記念すべき海外旅行(出張)となる。帰国日の日程が選べる自由があったので、迷わず平日に羽田から飛び、数日仕事をした後に日曜日の夜に日本に帰国するスケジュールを組み、土日をまるまるプライベートに使えるようにした。

そこで思いついたのは、もはや台湾でも風前の灯と聞いていた客レ列車、「普快車」に乗ろうということだった。台湾の台東線で一日一往復だけ運用される「普快車」は、日本の古き良き国鉄時代を彷彿とさせる貴重な列車として有名だ。この客車は日本製で、国鉄時代の旧型客車をベースに設計されたものだ。台北からは遠いが、金曜日の夜に新幹線で高雄へ。そこで一泊し、普快車で台東まで行ってからまた戻ってこようと思った。

しかしどうしたことか。仕事が終わり、金曜の最終便で高雄に辿り着いたあと、翌日早起きしてまで台東まで行く気力が無いことに気づいた。疲れていたのだった。それに高雄もいいところだと聞いていたから、その街をゆっくり観光したい気持ちもあった。本物の旧客だって、まだその気になれば日本でも乗れるし、台湾での貴重な時間を移動に費やすのももったいない・・・という思いが強くなり始めた。

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高雄・美麗島駅の有名なステンドグラス。アートの街である。

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▲美麗島駅とその周辺のナイトマーケット。

そんなわけで、もう普快車に乗ることは半ば諦め、高雄のホテルを遅い時間にチェックアウトしたあと、高雄観光に出かけたのだった。行き先は芸術特区。もう使われなくなった港の倉庫を活用して、現代アートの展示を行っているという。早速地下鉄に乗り、最寄りの駅で降り、まだ暑さの残る高雄の街を歩き、たどり着いた。

台東線を半ば諦めて行った芸術特区はどうだったのか。正直に言おう。いまひとつだった。

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期待しすぎていた、というのが本当のところかもしれない。見応えがあるものもあるが、展示物がピンキリで、少し物足りなさを感じた。僕は照りつける太陽に早々にギブアップし、併設されたレストランに逃げ込んでしまった。そこで冷たいレモンソーダとともに昼食をとりながら、これからどうしようかと考えた。台東線の夕方の帰りの便に乗るべきか?答えが見つからない。

結局モヤモヤしたまま、隣の地下鉄駅「西子湾駅」まで歩くことにした。使われなくなった貨物ヤードを活用して公園にしたエリアを通る。意外にも遠くに静態保存されている日本製の機関車が見える。近づいてみて初めてその全貌が見えてきた。ここは打狗鐵道故事館という、鉄道博物館だったのだ。その中には、普快車に使われている日本製の客車も、引退してその場に佇んでいる。

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そんな車両たちを眺めていて思った。せっかくここまで来たのだ。これは無理をしてでも、普快車に乗るべきだと。頭のスイッチが切り替わった。

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急いで地下鉄に乗り、高尾駅の自動券売機で台東行きの自強号のチケットを買った。普快車の復路便の始発駅は台東だが、もはやそこには間に合わない。途中駅の金崙( Jinlun)で、普快車に乗って折り返すことにした。

金崙は海辺にあるとても小さい駅だった。このへんでは温泉が出るらしいが、降車客は僕しかいない。外国人は珍しいらしく、駅員は中国語が話せないとわかるとどこから来たのか聞いてきた。
「日本から来た」
「この街にはどのくらいいるつもりか?」
「次の列車で折り返す」
「今来たばっかりじゃないか」
驚いた表情で冗談だろう、と言う。しかし本当なのだ。単に写真を撮りに来たんだよ、などと意味不明な理由を告げながら、普快車のチケットを窓口で買う。
「普快車?乗りたいのはその次の自強号だろう?」
「次の普快車だ」
「いやいや、きっと乗りたいのはこっちの自強号だろう」
「普快車でいい」
こんなやりとりが続いた末に、普快車のチケットが発券された。
もはや台鉄関係者も、普快車は外国人が乗るはずがないと決めつけている。それもそのはず。台鉄では現存する最下層の列車種別だからである。

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しばらくホームで待つ。定刻通り、青い3両の客車をこれまたいかめしい機関車2両が引き連れホームにゆっくりと入線する。前情報どおり、インド製と日本製の客車だ。日本製の旧客は2両だ。ラッキーかもしれない。本当に古めかしく、これはいつ無くなってもおかしくないと感じた。

手動のドアを開ける。地元の中学生くらいの女の子が数人降りたあと、車内に乗り込んだ。暗い車内、整然と並んだボックスシート、開けっぱなしの窓、両手で数えられるほどの乗客。異世界に飛び込んだ、と思った。列車は2〜3分停車した後、走り始めた。最後尾の貫通路は開けっ放し。ひたすら、もうすぐ日が暮れそうな海沿いの路線を走る。前を走る機関車のエンジン音、そしてレールの音以外、何も聞こえない。まさに昭和の汽車旅のその世界観が、この地で再現されている。かつて山陰本線を走る客車列車は、こんな感じだったのだろうか。

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ひたすら、何にも邪魔されない、静かな時間が過ぎていく。ただ窓の外の、消え行く太陽の光を見つめるだけのひととき。目を閉じてシートに沈んだ。夏の終わり、心地よい海風が車内に入ってくる。やがて黄昏れ、暗闇になり、そして窓の外を見ると、ゆるくカーブした前方で引っ張る機関車の姿がぼんやりと見えた。今、とてつもなく価値のある時間を過ごしている。

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台湾東部の海沿いの景色は、静かで、綺麗で、とても落ち着く場所だと感じさせた。暗闇の中、並行する国道を走る車のヘッドライトだけが見える。しばらくすると、小さな町が見え、列車が停まったあと、また走り出し、再び暗闇へ。

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途中駅から乗った普快車。その期待値を大幅に上回るその乗車体験は、昭和の汽車旅に思いを馳せているファンの皆さんに大いにおすすめしたいものである。19時半を回った頃、10分遅れで枋寮駅(Fangliao)に到着。乗客が降りると、すぐさまに回送が始まり、駅をあとにして行った。DSC04784

客レの余韻を楽しみながら高雄へ。そのまま同日のうちに台北へ向かった。明日はいよいよ帰国の途につく。一度は諦めかけた旧客への乗車。しかし、乗る価値があったと断言できる。今日は近年稀に見る充実した土曜日だった。

台湾鉄道の旅 完璧ガイド (イカロス・ムック)
台湾鉄道の旅 完璧ガイド (イカロス・ムック)

臨時寝台特急あけぼの号、追憶の彼方へ。上野-青森完全乗車ルポ

寝台特急あけぼの (みんなの鉄道DVDBOOKシリーズ メディアックスMOOK)
寝台特急あけぼの (みんなの鉄道DVDBOOKシリーズ メディアックスMOOK)

寝台特急あけぼのの定期ダイヤが廃止となった。表向きには乗車率の低下が主原因ということにはなっているが、むしろ車両のメンテナンスや運用に労力がかかりすぎる側面が垣間見える。現代の鉄道会社のビジネスという視点で考えると、残念ながら決して大きな収益源ではなくなっている。新幹線で大量の人をバンバン輸送する時代。もはや一日一往復の客車列車をひとつ廃止にしたからといって、JR東日本は痛くも痒くもなさそうだ。しかし、これでまたひとつ、日本の鉄道がつまらないものになってしまった、というのは紛れもない事実だろう。


▲上野〜大宮後面展望。ルポを読みながら、ぜひBGMがわりに再生ください

僕は夜汽車での旅が何よりも好きだから、どこかへ訪問する理由ができるたびに、何かしらの夜行列車に乗れないかといつも考えている。初めて寝台列車に乗ったのは、急行銀河のB寝台。そして北陸、北斗星、きたぐに、富士、あけぼの、はまなす。もうここで書いた半数以上が、もう見ることができない過去の存在となり、残るものも絶滅危惧種。ここ数年以内には、もうすべて廃止されるだろう。消え行くものをただ見て嘆いていても仕方がない。そう思い、最後の乗車を決意すべくあけぼの号のチケットを買った。

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あけぼのは2014年の夏に、臨時列車としてお盆明けまで運転された。定期廃止、臨時化で2〜4シーズン運転した後完全廃止させるのが最近のJRの常套手段だ。「いつかは乗ってみたい」と言っている間に夜行列車はどんどん減って行くだから、思い立ったらまず行動が原則。

僕はすでにあけぼのには2回乗ったことがある。一度は弘前から上野、その次は上野から秋田まで。しかしいずれも区間乗車だったので、臨時化して完全廃止まで(おそらく)秒読み段階に入った今、最後のあけぼの乗車として悔いがないよう、上野〜青森完乗、しかも正統派の開放型B寝台で旅行を決意した。(実は本当の目的地は通り越してしまうのだが・・・)

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臨時化で減車され、A寝台もなくいささか寂しい編成となってしまったが、好都合なことがひとつだけあった。それは定期時代は最後部がレディースカーで、後方展望は女性のみの特権(?)だったのだが、臨時化で普通の寝台車となり、誰でも流れ行く景色を眺めることができるようになった。そして奇遇にも予約可能な寝台は最後尾の1号車。これはツイている!これで新清水トンネルのモグラ駅、土合の通過をこの目で眺めようと思ったのだった。

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▲ひと目見ようとホームに訪れるファンと、警戒にあたるガードマン

夏休みの夜。上野駅へキャリーケースをひいてやってきた。まだ廃止が囁かれなかった頃は、ファンが数人発車を見送るくらいだったが、今はものすごい人出だ。みなカメラを構え、列車の到着を待っている。ホームには危険防止のためロープがはられ、撮影できるスペースも限られている。時間に余裕を見て準備しておかないと、良いポジションにはありつけなさそうだ。僕が好きなのは、ありのままの日常なので、こういう雰囲気は少し落ち着かない。

入線時の映像はあまりいいものが撮れなかったので、おまけとして定期時代の最後の夏に撮った映像も一緒に載せておこうと思う。ブルーの古めかしい車体が、ゆっくりとバックで入線してくる。もうこの貴重シーンが見れるのは、あと何回だろうか。ファンには嬉しい旧態依然のオペレーション。

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所定の位置で、しっかりと停車をすると、長旅を連想させる折戸があき、車内へといざなわれる。国鉄型独特の匂いが、お出迎えだ。クルーは後方のドアを閉めて、ロックをかける。発車時は、ここにしばしおじゃまさせていただくことにする。

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▲推進運転で入線したあと、すぐに後ろの扉はロックされる

長い発車ベルがなり終えると、客車特有の大きな振動とともに列車は動き出す。ついに旅の始まりだ。列車後方からの展望は、上野からの発車では初めて体験する。思えば、ここは普段よく乗るルートであり、なんとも思わないような場所であるはずなのに、ひと味もふた味も違う風情を醸し出している。さまざまな列車がすれ違い、夜景が飛んでいき、ずっと見ていても全く飽きることなどない。

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▲独特の味わいのある折りたたみ椅子

列車は大宮を出ると、快調に高崎線を飛ばす。車内はほぼ満席だが、驚くほど静かだ。レールの音だけが、クリアに聞こえてくる。皆走行音に耳を傾けているのかもしれない。

午前0:19。列車は水上駅に運転停車をする。水上は年1〜2度必ず訪れる好きな町のひとつ。電車でも、車で来てもいい表情を見せてくれる。特に夏の花火大会は最高だ。残念ながら今年はあけぼのに乗っているから、見ることはできないが・・・

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▲1号車のデッキ。折戸の凹凸が経年を物語る

水上を発車すると、新清水トンネルへ入る。当然かぶりつきの目的は、トンネル駅として特異な存在の湯檜曽、土合。この少し不気味でスリリングな2つの駅を、深夜高速の列車で通過するとどんな気分なのか、非常に興味があったのだった。

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▲後面から過ぎ去る湯檜曽駅はアーティスティック

長く暗いトンネルの途中、はっと明るくなったと思うと湯檜曽駅だ。土合と比べるとそこまでメジャーとは言えないが、過去に通りかかり、ホームで列車を見送ったこともある。トンネル内の駅部分がゆるやかにカーブしているため、実にいい雰囲気を醸し出している。暗闇の中、ゆるやかに弧を描くレールの光が美しい。シャッターを切ると、スピード感があふれる写真が自然に撮れた。一瞬で光は遠く向こうへ去っていく。もしあけぼのが走るチャンスがあるのならば、ぜひ一度湯檜曽駅で通り過ぎるあけぼの号の勇姿を見てみたい。そして数分後、土合へ。

さきほどの湯檜曽駅もなかなかディープな雰囲気だったが、深夜の撮影でも恐怖感を覚えることはないはずだ。一方でこちらの土合駅は、まさしくホラー。誰もいない山小屋のような暗い駅舎をとおり、水の流れる音を聞きながら暗い川の上わたると、ものすごい風とともに現れる先の見えない下りトンネル。湿気の多い階段を、染み出す地下水の流れる方向へひたすら下ると、土合駅下りホームだ。行ったことがない人でも、バイオハザードに出てきてもおかしくないロケーションと聞くと、なんとなく想像できるのではないだろうか。夏の肝試しに、強くおすすめしたい。

等間隔に並んだ蛍光灯が、靄を照らしている。まるで映画のワンシーンのような演出。その怪しい施設を、轟音とともにあけぼの号が通り過ぎる。その間十数秒。やっぱり、新清水トンネルは面白い。その後も、長い長いトンネルを走り続ける。非常用の電話のある退避抗が何百mおきに飛び込んでくる。普段使われることは限りなくゼロに近いと思われるが、このような長大トンネルを安全に保守していくための施設がきちんと整備されていることが興味深い。

ついにトンネルを抜け、越後湯沢へ。

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▲折戸のデッキ。LEDでは絶対に演出できない、レトロな温もり。

深夜の車内探索に出た。車内は寝静まっているため、そっと行動する。5号車を除いてB寝台。各車両にトイレと洗面台が2つずつ備え付けられている。紙コップの冷水機も健在。5号車のソロはお気に入りの車輌。これまでの2回の乗車は、いずれもソロ1階山側であった。人気が高いため、席を選ぶこと用意ではなかったが、一度日本海側の2階席に乗車してみたかった。

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▲冷水機。人が歩いている時間帯はひっきりなしに利用されていた。

6号車は車端部で電源車カニと接続するが、手前の貫通扉がロックされており中へ進むことはできない。ここで折り返しとなる。自席に戻り、しばらく眠りにつくことにした。

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▲今日の宿、B寝台下段

***

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午前4時、ふと、目が覚めた。

外が少しずつ明るくなっているのが見えた。夜行列車でしか味わえない楽しみの一つは、朝焼けを見ることである。起き上がり、通路側の折りたたみ椅子に腰掛け、車窓を眺める。新潟県はまるで絵画だ。左は日本海、右は緑美しい山の絶景が続く。どんな夜行列車でも、この夜が明けるひとときがたまらない。日常で過ごすどんな朝よりもすがすがしく、ひときわ輝いている。

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▲4:56AM、村上駅に到着。湘南色の編成がホームで待っていた。首都圏で姿を見なくなって数年が過ぎ、懐かしさがこみ上げる。

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陽は昇り、酒田に到着。ここでは数分間停車する。機関車の方にはギャラリーが群がっているようだ。秋田県に入り、雨が降ってきた。結構強く降っているので、後方の展望が難しい。そのためビデオは撮っていない。五能線は区間運休となってしまっているが、列車は定刻で走行。雨が降る景色を眺めながら、このブログを執筆する。

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青森県に入る。正規のダイヤだと青森に9:55についている頃であるが、臨時列車はなぜか今東能代付近を走行中である。どこで道草を食っているんだろうか。大館で乗ってきた3人家族がいた。寝台券を買っているようである。小さい息子へのプレゼントなのかもしれない。昔は空き寝台を利用したヒルネと呼ばれる自由席サービスがあったが、今はもう実施されていない。定期列車廃止と同時に、ヒルネ制度は絶滅してしまった。

乗車時間はあと1時間程度となった。緑が多い地域をひた走る。時折トンネルに入る前に、遠くの機関車からホイッスルが聞こえる。次々と機関者牽引の旅客列車が消えようとしている今、僕はあと何回客車のキャビンからこのホイッスルを聞くことができるのだろうか。大鰐温泉に到着。次は弘前、新青森、終点青森を残すのみ。ついにラストスパートへ入ろうとしている。

再び最後部へ。新青森手前で臨時停車。そして新青森、大きくカーブして青森でフィニッシュ。15時間もの長旅が終わった。青森駅のホームに降り立つ。東京では連日30度を超えているというのに、青森では少し肌寒い。ホットコーヒーが恋しくなる。

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雨が降りしきる中、DE10での回送を見送る。機回しをして20分以上経っただろうか。ついに汽笛を鳴らして、車庫へと戻っていった。定期列車では信じられない程のギャラリーが、ここにもいた。全員が、この姿が見れるのはあとわずかな時間だと理解しているのだろう。

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僕にとっても、おそらくこれが最後のあけぼの乗車となるだろう。〆にふさわしい、濃密な時間を過ごすことができた。さようなら、あけぼの。またどこかで、会うことができるだろうか。

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2014年版!タイのブルートレインとの再会 元国鉄14系・24系

セカンドライフトレイン ニッポン列車異国紀行 タイ編~北線・東線の旅~「異国で再会、ブルートレイン!」 [DVD]
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2012年秋の記録「タイのブルートレインに逢いに 元国鉄14系・24系 バンコク発チェンマイ行き13番列車乗車記」は当ブログの一番人気のコンテンツで、もはやGoogleで「タイ ブルートレイン」で検索すると一番上にランクインするなど、多くのみなさまにご好評を頂いている。
それだけ多くのファンがこの列車には存在しているということだが、今年の春も、ミャンマーからのトランジットでチェンマイに降り立つチャンスに恵まれた。(ミャンマー国鉄のキハ181系の記事はこちらを参照)

今回は乗車こそしないが、もう一度ブルートレインの元気な姿を確認しようと、僕はチェンマイ駅へと向かった。最近のタイ国鉄には、ひとつ不安に思う点がある。

それは脱線事故が頻発していることだ。原因は様々だが、その状況を重く見た国鉄は保線工事を敢行。国鉄総裁がブルートレインに乗り、北線を試乗視察し安全をアピールする・・・はずだったのだが、あろうことか列車が完全に通過する前に作業員がポイントを切り替えたため、最後尾の車両が脱線。むしろその信頼性の低さを露呈することになった。そしてその後も、お約束のように脱線を繰り返し、訪れた一週間前にもまた脱線事故。笑えないジョークを、体を張って披露してくれるタイ国鉄はさすがである。幸い転覆などの大惨事には至ってないようだが、貴重なブルートレインゆえ、その悲惨な保安状況を憂慮するばかりだ。

しかしその心配を吹き飛ばすように、ブルートレインは変わらぬ元気な姿を見せてくれた。

前回訪問時と比べると乗車率は低めに映ったが、きっと時期のせいであろう。僕はチェンマイ駅近くの踏切から、走り去る堂々たる編成を見送った。北陸、日本海が廃止され、あれだけの高い乗車率を誇ったあけぼのも過去のものに。マレーシアのマラヤンタイガートレインも運休状態が続く中、ブルートレインが定期運用される路線は、世界中でタイの北線だけという日が本当に来てしまうかもしれない。だが、この13・14番列車は、タイ国鉄の看板を背負いながら、これからも、ずっと走り続けてほしいと、僕は願う。

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ミャンマーで現役!国鉄ディーゼル特急キハ181系

2014年GW後半。僕はミャンマーに行くことにした。メインの目的は、急激に民主化が進むミャンマーの「今」を見ること、かの有名な黄金に輝く仏教聖地、シュウェダゴンパゴダとチャイティーヨパゴダ(ゴールデンロックの名で知られる)を見に行くことだったが、数年前にミャンマーに渡った、特急はまかぜで活躍したキハ181系が、チャイティーヨ麓の町チャイトーとヤンゴンを週末にのみ結ぶエアコン付の観光列車、チャイトーエクスプレスとして運用を開始していたことも材料のひとつだった。

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▲2010年 廃止まであと数ヶ月の特急はまかぜ。

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▲余部鉄橋建て替え工事中は、香住駅で折り返し運転。とにかくゆっくりと時間の流れる静かな夏の一日だった。

僕は特急はまかぜ時代に2回乗車をした。あの力強いディーゼルのパワーに魅せられた一人である。果たしてミャンマーでは、どのような第二の生活を送っているのか、とても興味があったのである。

 

僕はエアアジアでクアラルンプールを経由し、ヤンゴンへと向かった。ほとんどの東南アジアの国に、日本人はビザの取得なしで入れるが、ミャンマーはついこの前まで軍が全面的に統治していた、きわめて特殊な国である。パスポートのみでは入国できないため、あらかじめ東京品川のミャンマー大使館にて、観光ビザを取得した。

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▲クアラルンプール国際空港 LCCT

ヤンゴン国際空港での入国手続きは、ビザが必要であることを除けば、ほかの国と特別かわる点は無い。国内随一の空港とは思えない、こじんまりした建物を出ると、東南アジア独特の蒸し暑い気候が迎えてくれる。早速、チャイティーヨに向かうことにする。

 

ヤンゴンからキハ181系で!といきたいところだが、飛行機が到着したのはもう土曜日の正午を回ったころだった。チャイトーエクスプレスはヤンゴン駅を土曜日の早朝に出発。つまり、行きはバスで向かうことになる。タクシーに乗り、近くのバスターミナルまで行くと、現地人に声をかけられ、すぐに乗るべき車両が見つかった。チャイティーヨへのバス(トラック)が発着するキンプンという街まで、7000チャット(約700円)。日本のお下がりとみられる観光バスは快調に飛ばし、約4時間でキンプンに到着した。すぐさまホテルにチェックインし、チャイティーヨパゴダへ向かう。この時移動手段となるトラックはダンプカーの荷台に簡易な椅子を取り付けただけのもので、ヘアピンカーブの続く急勾配をなかなかのスピードで駆け上がる。まるでディズニーランドのビッグサンダーマウンテンに乗っているような感覚で、エキサイティングだ。

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▲キンプンからは日本製のダンプカーの荷台に乗って山頂へ!バスでは登れない坂道をターボを効かせて軽々と登っていく。

もうすぐ日が暮れようとする頃、山頂へと到着した。今にも落ちそうなゴールデンロック。仏のパワーによって、絶妙なバランスをとっているのだという。夕陽が黄金の石を幻想的に色づかせる。そのすぐそばで、信仰の深いミャンマーの人たちが、たくさんの蝋燭と線香をともす。この光景は想像以上に美しく、僕は結局日が暮れるまで、ずっとそこに佇んでいた。

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翌日。ホテルにて正午の出発の時間に備える。カメラの充電を試みるも、なぜか一向にインジケータが点灯しない。どうやら、コンセントの根本から停電しているようだ。仕方がないので少し早目に駅へと向かうことにする。この街ではタクシーというものを一切見ていない。モーターサイにまたがり、チャイトー駅へと向かう。ゆるやかな下り坂が続くのだが、けっこうなスピードが出ており、転んだらどうなることやらと不安に駆られる。無事チャイトー駅に到着したのだが、駅前はまともに舗装されておらず、牛がのどかに歩いている有様。ここが駅だと知らなければ、通り過ぎてしまうかもしれない。

もしかしると、もう181系の姿が見えるかもしれないと思い、駅の待合室を抜け、今にも床が抜けそうな跨線橋をわたってみる。右側の待機線を覗くと・・・いた!キハ181系だ。遠く に停車しているのが見える。ミャンマーの地で、確かにこの目でその雄姿を見ることができた。

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一安心したところで、チケットを買いに行くことにする。鉄格子越しに真っ暗な駅舎の事務室を覗くと、暗がりの中で駅員が中に入って来いと手招きしているのが見えた。それに従い、駅舎の中に入る。やはり中は真っ暗だ。まだ停電しているのかもしれない。12:00発の急行に乗りたいと伝えると、「エアコンだな」と言う。どうやらキハ181系は、現地ではエアコンと呼ばれているらしい。たしかに、これはこの国で唯一のエアコン車両なのである。米ドルを用意したのだが、どうやら2014年の春からミャンマーチャットのみの支払いとなった模様だ。3500チャット(350円程度)と、破格の安さである。懐かしい複写シートを使って直筆で記入された切符を手にする。

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線路を伝って、車両のすぐ近くまで行ってみる。キハ80系の時代から続く伝統のデザインが凛々しい。連結器の踏板の裏には、きちんとキハ181の文字が確認できる。最後尾一両は、塗り替えられたとはいえ、JR時代を彷彿とさせる塗装である。屋根上はミャンマーでの事情に合わせて、空調装置が一段下げられている。このため天井が低くなっているのだが、大掛かりな溶接を伴う改造工事が行われたのだろう。どおりで、譲渡から営業運転まで、長いブランクがあったわけである。側面を見ていくと、東南アジアではおなじみであるステップ取り付け工事がなされている。しかし折り戸式ドアの裾部分は延長されておらず、大きな隙間ができており、じつに大らかな国民性を感じさせる。

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最後尾以外の車両はミャンマービールのラッピング広告がなされている。一見きれいに見えるが、張り合わせが雑であり、ところどころはがれてしまっている形跡もある。そして残念なことに、窓には黒いフィルムが貼られているため、自席からの良好な風景は期待できそうにない。(例外として、車端部の席だけはフィルムが貼られていないが、どちらにせよミャンマーの大地の土埃によって、汚れていた)。ミャンマーの鉄道は準軍事施設に当たるため、写真撮影には特別な許可が必要とのことだったが、特にお咎めなしであった。当ブログでは身の安全に関しては一切保証しないが、少なくとも緊迫した雰囲気は感じなかった。

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これで本日キハ181系に乗れるという確約がとれたところで、少し早い昼食をとることにする。近くの食堂(掘立小屋)でポークカレーとソーダを注文する。腹を壊すのではないかと心配したが、肉厚でやわらかく煮込んだ角煮のような具がうまい。ソーダはミャンマー製の昔懐かしい瓶入の炭酸飲料で、照りつける太陽から逃れたあとで飲むと格別にうまかった。

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そうしたところで、そろそろ出発時間が近づいてきた。ホームに戻ると、ちょうど交換作業を行おうとしているところだった。キハ181は、留置線から本線へと進み、ゆっくりと駅舎のほうへ戻ってきた。もちろんドアは開きっぱなしだ。内数両はエンジンカットがされているが、平坦な大地を低速で走るこの急行にとっては、それで十分な運用なのかもしれない。

列車に乗り込む。いたるところに日本語の表記が残る。十二分に当時の面影を残しているといってよい。キャビンに入ると、懐かしいリクライニングシートが並んでいる。クーラーがキンキンに冷えていて、寒いくらいだ。乗車率は半分くらいであろうか。車両によって、かなりムラがある。

定刻になると、ゆっくりと列車が進み始めた。特にアナウンスは何もない。この先、バゴーまでノンストップで走行する。まさに特別列車の風格だ。この列車は、当然の車内販売などはない。ノンストップということで、売り子も乗ってくる気配がないため、乗車時は必要なものを買い揃えておくのがよいだろう。

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しばらく走行したが、その圧倒的な揺れにはただただ驚くばかり。しかし、これでも他の客車と比べると遥かにいいほうとのことで、きっとサスペンションがいい仕事をしているのだろう。縦揺れというよりは横に大きく揺さぶられる感じで、飲み物などは油断すると床に転げ落ちてしまうほどだ。ミャンマーの保線状況は劣悪の極みであり、タイなどの例とは比較にならない。枕木が等間隔でない、きちんと固定されていない、そして最大の問題はバラストが致命的に足りていないことである。その結果、車輪が通過するたびにレールが歪み、左右の揺れを引き起こす。もはやいつ脱線してもおかしくないレベルであり、ゴールデンロック同様に仏のパワーによって横倒しになっていないだけとしか思えないのである。水田などに突っ込まなければいいが・・・速度は40キロから速くて60キロ程度と予想される。120km/hでの高速運転が得意なキハ181系としてはかなりのろまなダイヤだが、線路の状況がこれゆえ、無理は禁物である。

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のどかな田園風景の中を、ひたすら4時間、ヤンゴンに向けてゆっくりと走る。ほぼ定刻で、途中駅のバゴーに到着。折り戸は本来自動ドアだが、もちろん集中管理ではなく非常用ドアコックにより開け閉めがコントロールされている。また列車は走り始め、田園地帯へ。退屈といってはそれまでかもしれないが、ほとんど同じような風景が淡々と続いている。

車内探検へ出てみよう。車端部のトイレは利用可能。他の列車はすべて垂れ流し式だが、この車両は消毒薬も利いており、循環式処理装置がそのまま生かされている。だが洗面台の水は残念ながら出なかった。壊れているわけではなさそうなので、単に水を入れれば動きそうな状況だ。連結部分の踏板が除去されているので注意されたし。連結幌はきちんと残っており、状態も良好である。デッキ部分は冷房がないため、蒸し暑い。強すぎるエアコンで体が冷え切ってしまった場合は、ここに来るとよいだろう。そして先頭車両キャビンの端には、なんと最終運転日の貴重な寄せ書きまでもが、そのまま残っていた!まさに動態保存である。

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席に戻り、居眠りをしてから1時間以上が経過しただろうか。激しい横揺れに、壁に強く頭を打ち起こされる。鉄道とは思えないような揺れだが、まだ列車はレールの上を走っている。脱線はしていないようだ。太陽が少し傾き始め、周辺の駅にこまめに停車をするようになってきた。ヤンゴンが近いようだ。

ここからはドアを開けたまま走行するようになり、僕も安全を確認したうえで身を乗り出してみる。生ぬるい風だが、心地よい。日本ではできない、貴重な体験である。降りる客も駅を追うごとに多くなってきた。もうターミナルは、すぐそこまできている。しばらく走った後、ドアから顔を出すと、ヤンゴンの駅が見えた。フィナーレを、デッキで過ごす。相変わらずアナウンスはないが、ゆっくりと、無事にヤンゴンへと到着した。列車は客を降ろすと、数分間停車したのちすぐに車庫へと回送される。もちろん、その雄姿を見送ることにした。警笛を鳴らすと、エンジン音を轟かせながら、ゆっくりと走り去っていった。キハ181は、かつてない接客設備が感動を持って受け入れられ、2014年になった今もその設計にふさわしい優等列車として活躍している。遠く離れたミャンマーでも、その輝きは失われていない。

今回の乗車ルポ、いかがだっただろうか。実は僕は、この1年間、営業運転が行われるのを心待ちにしており、現地の状況をずっと調べていたのだ。いつまでたっても営業運転の情報が入ってこず、ずいぶんとやきもきされられたものだが、今回ついに念願が叶うこととなった。ところでこのキハ181系、日本現役時代とはやはり大きく異なる表情を見せる。ひとつはやはり、田園地帯をまったりと走る点。山陰本線の山岳地帯を馬力を生かして力走する姿、また東海道本線の大阪姫路間を、新快速に肩を並べながら猛スピードで走行する姿とは対照的である。もうひとつはキロが連結されていない点。残念ながらミャンマーでは、キロ連結の報告が未だ無い。リクライニングすると座面が持ち上がる、あの素晴らしい乗り心地のシート。旧余部鉄橋廃止間もないころ、山陰本線の香住から乗車したのだが、あまりの気持ちよさに発車するなりすぐに寝入ってしまった。起きたと同時に明石大橋のきらびやかな夜景が目に飛び込んできたあの日が忘れられない。高速で走行する列車の中、深く倒したシートから見えた景色は、あまりにも印象的だった。それ以降、僕はキロには特別な感情を抱き続けている。今はインセイン近くの車両庫に留置されているという話であるが、部品取り用との噂も聞こえる。できることなら、キロを復活させてほしいと願うばかりだ。だがそれを差し引いても、この列車が好きなら遠いミャンマーにも行く価値があるだろう。情報が極めて少ないので、苦労するとは思うが、実際に対面できた時の感動がある。現地に行ってみないとわからない情報もあるが、ヤンゴン環状線を走るスジならば比較的乗りやすい。一度、行ってみてはいかがだろうか。

形式キハ80・181系―あの車両のすべてを徹底解明 (イカロスMOOK―国鉄型車両の系譜シリーズ)
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キハ181系DVD-BOX 特急おき・特急はまかぜ・特急いそかぜ
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復活した国鉄急行型気動車キハ58系!思い出の高山本線からいすみ鉄道での奇跡の復活まで。

十数年まで、ローカル線に転用されながらもあれほどたくさん走っていたキハ58系。それがついに2011年3月のダイヤ改正で定期運用から撤退、事実上の全廃になった。以前執筆した「489系ボンネット特急はくたか号(ボンたか)の旅」で訪れた富山は、実はキハ58系に乗るための目的地であった。これが本当の―――そう覚悟して乗ったはずのキハ58系、なんと2013年、千葉県のいすみ鉄道で奇跡の復活を遂げた。この記事では、2010年現役当時の姿、奇跡の復活を果たしたいすみ鉄道での活躍(2013年)を織りまぜて、お届けする。

***

2010年8月。思いがけない幸運によりめぐり合ったボンネット489系はくたか号を富山駅で見送ったあと、僕は新幹線開通に向けて姿を変えようとする富山駅を歩いた。新しい時代に向けて、解体途中の構造物は半ば廃墟のようである。

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越中八尾と富山の間を朝夕往復しているキハ58系は、国鉄色とオリジナルカラーの二種類だ。どちらに会えるかは運次第だったけど、幻のボンネットはくたか号に続き、国鉄急行色の車両がホームで出発を待っていた。今日は本当に、恐ろしいほどついている。

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エクステリアを観察する。前面部は古臭い国鉄顔(褒め言葉)が懐かしい。いかにもアナログの時代を感じさせる無骨なジャンパ線がいい。側面部はさっきの古臭さとは打って変わって洗練された印象を受ける。きっとそれはスマートな一段上昇窓と、ボディに隠された雨樋、車両最端部にキチッと設置された細いドアによるものじゃないだろうか。優等列車にふさわしい、上質なデザインの処理がなされている。それでは、早速中に入ってみよう。

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キハ58系のドアは、車内の冷房効果を高めるため「手動」になっていた。ごつい形状の取手を開けると、独特の国鉄型の香りが漂ってくる。デッキはモスグリーンの色がよりレトロな雰囲気を増幅させる。車内がオリジナルと異なる点は、ローカル輸送用に転用された際に車端部のシートがロングシート化されたことだが、あとは国鉄急行形の雰囲気そのもの。僕は席について、窓を少しだけあけて、往年の雰囲気を楽しむことにした。

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発車時刻になり、エンジン音を鳴り響かせならゆっくりと、スムーズに加速していく。すでに夕刻。赤、緑、黄色、たくさんの光が夕焼けの富山の街を照らしている。刻々と変化する景色の中、何十年も変わらずに日本を駆けた名車が、終焉の少しずつ向かっていることを実感した。ディーゼルの香り、レールの音、心地良い風を楽しむのもつかの間、約30分で、終着駅の越中八尾に到着した。ここでしばらく停車したのち、富山に折り返したあと、キハ58の一日が終わるのだ。青春18きっぷのシーズンということもあり、半分くらいの乗客は鉄道ファンである。当然、復路もこのキハ58に乗車する。

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もうあたりは真っ暗になったあと、キハ58は再度富山に向かって発車する。キハ58系には、「立席」にもおすすめのスポットがある。デッキには小さな窓がついており、そこを開けると風の影響をあまり受けずに走行音を楽しむことができる。走行音を録音する趣味の方には、もってこいのスポットである。短いスプリントのあと、富山駅へ。予想外の489系のめぐり合わせで、カメラのバッテリーを予定以上に消費してしまい、電源はもう切れる寸前だ。

富山駅で乗客を降ろすと、キハは車内の照明を消す。こうして見てみると、かなりボディは傷んでいる。写真のキハ28 2360は1964年製。ということはもう47年も前の車両ということになる。よく、ここまで生き残ってくれたなと思う。

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跨線橋を上り、今日一日の仕事を終えたキハを見送ろうと思った。そして、ついに回送のシーン。エンジンがうなると、やわらかい白い煙が漆黒の夜の空にふわっと浮かび上がる。想像をはるかに超える幻想的な景色だ。2両は軽やかなエンジン音を奏でながらゆっくりと仲間の待つ車両基地へと帰って行った。そして僕にとっても、とても充実した一日が終わった。

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その後、この2両はダイヤ改正後に廃車となり、解体された。だがしかし、2012年に驚くべきニュースが飛び込んできた。なんと、千葉県のいすみ鉄道に、1両だけ廃車を免れたキハ28 2346が、イベント用として転属するという、まるで夢のような奇跡の復活劇が起こったのだった。すでにいすみ鉄道が導入していたキハ52と2両編成で「急行列車」として運転を始める。当然、行く以外なかった。

2013年4月。東京から車を飛ばして大多喜駅へと向かった。急行列車は大原駅から発車するが、早朝送り込みとして同じ編成を使った快速列車が大喜多から発車する。公営の駐車場に車を置き、大多喜駅へと向かうと・・・いた!キハ52と28が、ピカピカの状態で車庫に入っている!もう一生乗ることはないだろうと思っていた2両に、今日はこれに乗ることができるのだ。実はキハ28への乗車には通常指定席券が必要だが、こちらは快速列車なので不要である。大多喜駅ではヘッドマークの取り付け作業を見ることができる。JRではヘッドマークどころか、その種別さえも見なくなった急行の文字が誇らしい。

準備が整うとホームに入線する。キハ52を先頭にポイントの向こうまで走り、その後キハ28を先頭に折り返して入線する。撮影するにはなかなかいいシーンかもしれない。

ホームに入線したあと、数分の停車を経て列車は発車する。僕は迷わず、キハ28のボックスシートに陣取った。

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車内はほとんどJR西日本時代のまま。いすみ鉄道ではあえて余計な手は加えず、そのままにしているらしい。懐かしい3年前の高山本線の旅が、千葉の地でもう一度味わえるなんて、夢のようだ。

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早朝だが土日ということで、乗客はかなりのもの。沿線では多くのファンがカメラを抱えてキハ28/52に熱い視線をおくっている。きっとこの2両は、のどかな田園地帯をバックに最高によく映えるのだろう。

急行とは言っても、走行速度は実にまったりとしたもの。かつては東北本線のまっすぐのびたレールを設計速度の上限でぶっ飛ばすキハ58の快速も痛快だったけれど、それとはまた違う魅力がある。時代がもっとゆっくりと流れていた頃の日本が楽しめるのだ。

終着駅までの30分弱は実に早く過ぎ去る。あっという間に大原に到着した。今度はキハ52を先頭に、「急行」として折り返し運転が行われる。今度はキハ52に乗車することにした。さきほどの乗客も一度降りて、駅の売店で「急行券」を購入する。

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かなりの人出だ。ちょっと前までは連日閑古鳥、存続の危機に瀕していたいすみ鉄道だったが、起死回生を図るべく社長を公募。そこで航空会社出身で自身も鉄道ファンの敏腕社長が経営改革と様々なマーケティングを行い次第に経営が安定。今ではその魅力の虜になったファンが関東各地からこぞってやってくるという、非常におもしろい鉄道会社。こうした稀少価値の高い古い国鉄型気動車を集めて、しかも実際に走らせているのは、社長自身の鉄道に対する愛なのだと思う。部品の調達が非常に困難になっているということだが、これからもずっと、地域の観光資源として走らせてほしい。

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急行の一番列車ということで、さきほどとは比べものにならないほどの多くの人が乗車してきた。しかも、いすみ市ではその日「みんなでしあわせになるまつり in 夷隅」という、昭和の車を集めて展示するというイベントを行っていたので、なおさらである。新幹線が無かった頃の急行列車は、きっとこういう賑やかさだったのだろう。列車が発車すると、ガイドが列車の紹介や地域の魅力を解説してくれる。僕は車を止めた大多喜駅まで戻ることにした。途中、今日のイベントで特別にやってきたボンネットバスが、踏切の前で停車して、みんながこちらに手をふっている。昭和好きのためのファンサービスだ。国吉駅でしばらく停車するが、そこでも今日のために集まった旧車たちがお出迎えしてくれる。この貴重なワーゲンバスは社長の私物なんだとか。しかも、驚いたことに久留里線を引退したはずのキハ30が留置されている!調べてみると、引退後に購入して整備した後、キハ25/52/30を3両つなげて走らせるプランがあるらしい!なんてファン思いの会社なのだろう。

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大多喜駅に戻り、列車を降りる。わずかな間だったが、昭和を満喫することができた旅だった。今度は終点まで行って、上総中野から小湊線で気動車を乗り継いでみたい。そうすれば、もっと昭和の旅を楽しめるだろう。近くの踏切で、キハの通過を見守る。絶滅するかに思われていた国鉄の名車は、ここに安息の地を見つけた。これからも愛されながら、走り続けてほしい。


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廃止直前の寝台特急富士・はやぶさに乗る旅

 2009年。いつかずっと乗りたいと思っていた「富士・はやぶさ」が、今年のダイヤ改正で二度と走らなくなってしまう。もう残された時間はわずかしかなかった。まだ冬の風が街を吹き抜ける2月の東京、僕は九州に旅立つことにした。

午前中に田町で開かれたカンファレンスが終わると、会場から一目散に品川駅へ走り、滑り込んできた博多行き「のぞみ」に飛び乗った。13:37、700系は西へと走り始めた。いつも車内で寝付けない僕だが、連日の疲れのせいか珍しく寝てしまった。気がつくと、もう下関付近の工業地帯をかすめて列車は走っていた。
今まさに暗闇にとけ込もうとする工場のシルエットと夕暮れ。そんな美しい光景が目に飛び込んできた。もう数時間前までいた空間とは別世界。そんな優美な時間に酔いしれていると、700系はトンネルに入り、ほどなく夜の小倉駅に滑り込んだ。

大分駅で18:43発特急ソニックに乗り込む。車内はフローリングに革張りシート。鉄道好きじゃなくとも、列車での旅が楽しくなるようなアコモデーションだ。JR九州のドーンデザインを起用したエクステリアとインテリアへのモチベーション高さは各社が見習うべきだと思う。1時間半ほどで大分駅に到着。時計は8時を回っていた。

駅から徒歩10分ほどのダイワロイネットホテルにチェックイン。
せっかく大分に来たのだからと、名物とり天を食べる事にする。とり天とは、ほどよい大きさの鶏肉を唐揚げ・・・ではなく、天ぷらにした実にシンプルな料理である。地元の人が全国どこででも食べられると勘違いするくらい、大分県では一般的で地域に根ざした一品とのこと。サクっとした歯触りが心地よい。すっきりとしたポン酢のほか、塩でシンプルに食べるのも格別。ビールとのコンビネーションも抜群だ。ますます旅をしている実感が湧いてきた。さらに追加で「りゅうきゅう」を注文。こちらは近くの海で取れた新鮮な魚の刺身を、生姜やごま油の入った調味料に漬けておいたもの。弾力のある刺身の中までしっかりと味がしみており、絶品である。お茶漬けにするとなお美味しい。板前さんに聞いたおすすめの焼酎を飲み終わると、なかなかいい時間になっていた。美味い料理に満足し、明日への期待がますます膨らむ。出発時間を再確認し、眠りについた。

***

2月17日。

いよいよ本日は今回の旅の主役、寝台特急富士号に乗車する日である。しかも今回は富士号のファーストクラスとも言うべき、シングルデラックスのチケットを手に入れている。廃止まで1ヶ月を切り、秒読みが始まっていた2月、開放式B寝台でさえも文字通りプレミアチケット化していたが、幸運にも、ハイグレードの個室を入手する事ができた。

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発車時刻は16:43。いよいよ改札へ繰り出す。まだ富士号は到着していない。885系がホームで出発を待っていた。885系は乗ったことが無いけれど、宇宙船のような純白ボディをまとったエクステリアは個人的に大好きで、特にフロントフェイスの曲線はどの角度から見ても美しい。JRグループの中でも最もエレガントなデザインだと思う。

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そうしているうちに、遠くから重厚な音を奏でながら、ついにED76が、闇を切り裂く青い車体を引き連れてホームへとやってきた。客車ならではの、大きな金属音とともに停車し、折戸式のドアが開く。決して飾らない、昭和の雰囲気に満ちたその空間の中に入ると、国鉄型特有のあの香りがノスタルジアに誘う。個室のドアを開けると、シックなインテリアのキャビンが迎え入れてくれた。「デラックス」と言いつつも、今となっては必ずしも豪華とは言えない内装。だが、僕のような旅人にとっては最高の贅沢であることは言うまでもない。車窓を録画するため、ハイビジョンカメラを設置するとすぐに列車は大分駅を発車した。

(大分〜宇佐までの車窓。BGM代わりに視聴ください)

***

列車内の、たった一人の空間で、初めて見る風景とジョイント音を味わっていた。宇佐をすぎると、もう空は赤く染まり、世界は夜への準備をし始めた。なぜ富士・はやぶさが廃止されるのか。車両の老朽化と利用率の低迷が原因であるが、結局はライフスタイルの変化という答えにたどり着くと思う。移動も旅である。旅路が長ければ長いほど、より一層目的地への期待がふくらみ、滞在の価値が高まる。近年はこうした時間的障壁が減り、次第に移動に求められるものも異質になってきた。移動時間は目的地がどんなに遠くとも、ゼロに限りなく近い方がよしとされる時代である。

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移動時間を削減しなければならない理由は何か。それは旅行者の時間の価値が、移動中に過ごす1分よりも、目的地で過ごすそれのほうが勝っているからに他ならない。だけど、本当に贅沢な旅とは、移動時間を現地の滞在時間と同じ価値にできるようなものだと思う。人々が時間をかける旅の価値に気付けなくなってしまったのか、仮にしたくともライフスタイルの変化がそうすることを不可能にしてしまったのか。そう考えると富士が廃止になるということは、仕方の無いことではあるけれど、移動の贅沢を提供してくれる数少ない選択肢が今後さらに少なくなってしまう。

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18日未明、突然列車がいつもより強いブレーキをかけ、闇の中で停車した。いつしか眠っていたらしい。その衝撃で目を覚まし、何が起こったのかと窓を見渡しても何も確認することができない。しばらく列車が動くことはなかった。再び動き出したのは、それから30分以上たったあとであった。すっかり目が覚めてしまった僕はベッドから起き上がり真夜中に車内の探索をすることにした。寝台で寝ている乗客を起こさないようにさえすれば、歩き回る人も少ないこの時間帯は格好のゴールデンタイムである。そうこうしているうちに、列車は汽笛を鳴らすとゆっくりと動き始めた。

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流れる夜景を見ようと、最後尾にある車掌室へ行くと、無線がひっきりなしに聞こえてくる。交信が一段落したところで、気さくな車掌が「昨日は寝たの?」と話しかけてきた。なんでも先行する貨物列車が2頭の鹿を立て続けに撥ね、1時間30分の大幅な遅延となっているようだ。そんなこともあるのかと驚いていたが、こうしたアクシデントはそれほど珍しいというわけでもなく、最悪の時には同じ機関車が2度の人身事故に遭遇することもあるという。
誰か人がきたら窓を譲り、部屋に帰ろうと思っていたのだが、一向に最後尾を訪れる人はいない。さすがに深夜から明け方ともあれば、車内をウロウロするような人は皆無である。結局あたりが明るくなるまで流れゆく風景を独り占めしていたと思う。赤、青、黄色、様々な色が現れては、遥か彼方へ消えてゆく。その幻想的な景色は、まるで富士号がその終焉に少しずつ近づいていることを暗示するようであった。

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車掌は下関地域鉄道部の所属で、同日の下り「富士・はやぶさ号」に乗ってとんぼ返りになるという。長距離を連続して一人で乗務するため、負担は大きい。過去には東京到着が17時になったという事例も経験したという。遅延という当然想定されるアクシデントでも、クルーにはこれほどの影響を与えてしまう。九州、西日本、東海、東日本と、何社ものJR路線を経て向かう寝台特急は、現代においてもはや足かせなのかもしれない。

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6:30頃、名古屋駅到着。出発と同時に東京へ急ぐ客に振替輸送の手続きが始まる。
さすがに夜の風景を楽しみすぎてしまったので、個室に戻ってまた休むことにした。

再び起きると、世界は完全に明るくなっていた。空は晴天。列車は海沿いの東海道本線を走っていた。車内販売が始まる。記念弁当が販売されたが、旺盛な売れ行きでシングルデラックスのある2号車に販売員が来る前にすべて売り切れてしまった。このあと東京まで、空腹を我慢する事になる。

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ふと山側の窓に目を向けると、富士山があった。乗客が皆通路に繰り出し、眺めたり、写真に納めたりしている。この列車は日本の景色をさらに格別にする力を持っている。だがそんな富士号から、富士山を見ることも、できなくなってしまうのだ・・・。ついに東京駅へ列車は到着した。約19時間の長旅がついに終わった。JRの方々にとっては辛い一日だったろうが、予想よりも長く富士に乗っていることのできたこの旅行は、僕にとってとても価値のあるものだった。たくさんの人とともに、回送をホームで見送った。この約1ヶ月後、寝台特急富士・はやぶさはダイヤ改正で廃止された。人々の思いを長きにわたって運び続けた九州行き最後のブルトレが、ついに消滅した。

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栄光のブルートレイン 寝台特急 富士はやぶさ (アサヒDVDブック)

タイのブルートレインに逢いに 元国鉄14系・24系 バンコク発チェンマイ行き13番列車乗車記


ブルートレイン。日本ではあと何本残っているだろうか。度重なる廃止でもう片手で数えて余るほどにまでその勢力を減らし、まさに風前の灯火だ。しかし、そうして廃止されていったブルートレインファミリーの一部は、東南アジアの国々に譲渡され、特別列車として大活躍している。その中で最も有名なのは、タイ国鉄北線の13・14番列車である。日本では見ることの少なくなったその勇姿を見るため、微笑みの国タイ王国を尋ねた。

バンコクとチェンマイを往復する特別列車は、24系・14系の元ブルートレインがフル編成で登板するタイ国鉄の看板列車である。

タイ国鉄は数年前にチケットのオンライン予約サービスを始めたおかげで、日本からも簡単にネット予約することができる。当日の2ヶ月前から予約ができるが、この列車は欧米からのバックパッカーから絶大な人気を誇っており、特に部屋数の少ない一等車(A寝台個室)はハイシーズンには予約開始から数日で埋まってしまう。かといってキャンセル待ちの現地予約は全くアテにならないので、ぜひタイに訪れる時期が決まり次第、すぐにネット予約をすることをおすすめしたい。座席の位置まで詳細に指定できるのは嬉しい。僕は迷わず、一等車を選んだ。反応の遅いサーバーにいらいらしながらクレジットカードで支払うと、Email宛にPDFチケットが送付されてくる。これをA4で印刷すればOKだ。
注意:2015年現在、予約システムは長期停止中です

日本で入念に準備を済ませ、羽田空港から深夜便でスワンナプーム空港へ降り立った。朝5時。日本では秋真っ只中だというのに、タイは蒸し暑い日が続いている。空港でAISとDtacのプリペイドSIMカードを購入し、持ってきたiPhoneとXPERIAに挿し込みセットアップを行った。本当は1台でもいいのだが、XPERIAはGPSロガーとして利用することにした。昔はインターネットを使いたいと思ったらカフェに行くしか無かったが、ほしい情報が海外でもすぐに手に入るのはとても便利になったものだと思う。インターネットには、旅先でなんども助けられた。ぜひSIMフリーのスマートフォンを持参することを勧めたい。

お目当ての13番列車は19時に発車する。予習を兼ねて、スワンナプーム空港よりAirport Linkに乗り、マッカサン駅へ向かった。このAirport Linkはシーメンス製のシステムで、最高速度は160km/h。空港を出ると、眼下にはタイの景色が広がり、海外に来たという実感がこみ上げる。実にスムーズに、マッカサン駅に到着した。外は激しく雨が降っている。乾季を選んで来たというのにいきなりの洗礼。晴れていればかの有名な傘折市場のあるメークロン線を訪ねてみようと思ったが、いきなり出鼻をくじかれてしまった。仕方が無いので、国鉄ファランポーン駅に行くため、マッカサン駅から少し歩いてMRT(地下鉄)に乗り換える。

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近代的なMRTを使って終点まで行くと、国鉄ファランポーン駅。まるで昭和にタイムスリップしたかのようなアナログ世界へ、ついにやってきた!タイ庶民の足である3等客車の編成や、はるか遠くからやってきた寝台列車。ズラっと並ぶ重厚長大な客車たちに、思わず見とれる。JRと違って、タイは車内改札となるため、ホームへの出入りは自由。しばし見学させてもらうことにした。

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早速鈍行列車が到着する。日本の10系軽量客車をベースとした車両だ。これが未だに主力として活躍している。駅に停車し、大勢の乗客が一斉に降りると、すぐさま清掃が始まる。その方法たるや実にシンプル。ホースを持って水を車内にぶっかけるのだ。当然車内は水浸し。洪水が頻繁に起こり、線路が冠水しても列車を走らせるタイ国鉄とそれを利用する国民にとっては、なんの変哲もない日常の光景だ。しかし、そんなに豪快に水をぶちまけては車体が錆びるのではと、旅行者である僕は心配でたまらない。日本ではただでさえ一段下降窓による腐食のせいで、廃車が早かったと聞いているのに・・・

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ファランポーンのおもしろいところはそれだけではない。まず入り口から見てホーム右手奥にはいつも車両が留置されている。そこを見てみると、なんといたのはブルトレ改造のVIP車両。展望車になっている!恐るべしマッカサン工場。一般人も乗れるものなら、ぜひこれで旅してみたい。中は大柄なソファが豪華に並べてあった。さらに12系、14系座席車両が手を繋ぎ、派手なラッピングをされた状態で鎮座している。もう国鉄型祭りである。日本ではこんな光景は絶対に見られないものだから、面白くて仕方がない。さらに奥へ進むと、これまた改造された12系がいた。ドアにはボタンが付けられ、半自動化改造がなされているようだ。隣の車両は旧型車両で、ドアが開いている。そこから12系の中に入ることができた。中は真新しい革張りのソファに置き換えられており、1+2の配列。ユニットサッシの車両にこのインテリアはなんとも不釣合い。シートピッチなど合っているわけもない。奥のドアはなんと両開きに改造されており、車椅子対応と思われる昇降機が備え付けられていた。何かのイベント用とみて間違いなさそうだ。

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そういえば、チェンマイからバンコクに来る列車は14番列車だ。もしかしてそろそろついているかも───そう思って今度は左端のホームへ行ってみる。やはり、知らぬ間に14番列車は入線していた。

ずっと憧れていたタイで活躍する元日本のブルトレ。ついにご対面だ。今やパープルトレインだが、やはどの角度で見ても美しい。日本にはないけれど、この色も悪くないと思う。仏教が生活に根づいているタイでは紫は高貴な色だ。そして14系・24系はそれにふさわしい客車と言えるのではないだろうか。そしてこれが、今日の宿である。

バンコク発チェンマイ行き元ブルートレイン 13番列車

しめしめ、清掃中でまだドアは開いている。日本だったらそこに忍び込んだら職員が血眼で探しに来るが、タイは実におおらかな国。ちょっとだけ中を探検させていただくことにしよう。客車文化であるタイのプラットホームは低床式である。そのためドアまでのステップが足りずにタイ国鉄がドア部分にステップを新設している。そこへ足をかけ、日本語で「自動ドア」と書いてある折戸を手で開ける。なんとも新鮮である。

車内に入るとサービス電気が届いていないらしく、薄暗い。そうするととなりのホームでは回送用機関車の併結作業が行われていた。それを見ようとあわてて反対側のドアをあけてみる。すると、「ガッシャーン!!」一体何がおこったんだ!?衝突しているじゃないか!しかし、これはタイ流のれっきとした連結作業。彼らは機関車で回送する車両をぶつけて連結させる。客車もたまったものではない。とにかくその衝撃音たるや相当のもので、よく壊れないなと感心してしまう。さてもう一度車内に戻る。ここはB寝台。デッキも日本時代そのまま!斜めにつけられたドアの取っ手に「ひく」と書いてある。昔の日本にタイムスリップしたようだ。寝台も日本時代そのまま。とてもきれいにメンテンスされており、ほかの一般型客車と比べるとかなり手厚いケアを受けているようだ。トイレも、洗面所もほとんど日本時代と変わらない。車内の様子はビデオを参照してほしい。

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さて、軽く探検をしたところでちょっと街へ繰りだそう。

***

街の観光を終え、再び夕刻にファランポーンに戻る。駅の売店で瓶入りのチャン・ビア(像ビール)を買う。日本で有名なビアシンよりも安くてタイ人に人気の銘柄。そしてレジの女の子の笑顔が素敵だ。彼女は瓶と一緒にストローを入れてくれた。タイの人たちにとっては飲み物をストローで吸うのが常識。

さて、ホームに出よう。もうお目当ての13番列車は入線しているだろうか。期待を胸にホームに入ると、そこには美しい紫色の長大編成の姿があった。いよいよ、旅が始まる。

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バンコク発チェンマイ行き元ブルートレイン 13番列車

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今日はオロネの個室だ。オロネはホームの入り口から一番近い場所に停車している。ドアの前で検札をし、確認ができるとボーイがスーツケースを部屋まで運んでくれる。ずっと憧れていた、オロネ25 300番代A個室寝台、シングルデラックスである。

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タイ国鉄 オロネ25 A個室の窓

車内を見ていくと、オロネも昼に見た車両の例にもれずほとんど日本で活躍していた頃そのままなのが嬉しい。日本語のままのコントロールパネルも健在でもちろん動く!コンセントも通電!唯一惜しいと思ったのは個室のドアが外側からロックできない点だ。日本にいた頃はカードキーによるセキュリティが完備されていたがそんなハイテクはタイには似合わないと思ったのか、他の電装系とは対照的に潔くオフにしてしまったようだ。だからスーツケースに鍵をかけて出ていくことになる。しかし、値段もすべてあわせて6,000円程度と日本に比べたら信じられないほど安く、編成の端っこに連結され一人個室でプライバシー確保はもちろん防犯上もいい。しかも「寒すぎる」と評判のタイのエアコンも、そうならないよう自由自在に操作できる。二等もいいが、バックパッカーが多いので夜まで酒盛りなどがあるかもしれない。もし迷っているなら快適な一等車をおすすめしたい。

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オロネ25 コンセント

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オロネ25 洗面台

腰を落ち着かせるとまもなく食堂車のスタッフより熱烈なオレンジジュースのサービングが始まる。考えるまもなくOne? Two?と聞かれたのでOneと答えると値段も聞かずにおもむろにストローを刺して60バーツを請求された。一等車のサービスだと思っていたら、有料だったらしい。ヨーロッパのシティナイトラインは朝食までタダでつくのに。まあ、別にあっても困らないのでその時は素直に代金を払ったが、いらないならNo thanksと断ることが重要だ。でも味はけっこうおいしい。そのオレンジジュースを吸いながら、こんどこそ腰を落ち着けようとすると、今度は違う食堂車のスタッフが部屋の前まで夕食の注文を取りにきた。頼めば部屋までデリバリーしに来るらしい。しかし、夜は食堂車で、と決めていたから、向こうで食べるというと、そっちで出してやるから今決めろと言ってくる。それでは、とチキンに魚介全部入りのセットにした。予約は9時。タイ語訛りの英語で何を言ってるのかよくわからなかったがなんとか予約はできたようだ。

定刻を遅れること約15分。列車はやっと走り出した。もしかしてドアを押せば開くのではと思いぐいと押してみると、きちんとロックされている。開け閉めは手動なのに・・・。不思議に思っていると裏技発見。なんとボーイが非常用ドアコックで都度開け閉めしているらしい。人海戦術である。ちなみに人によってムラがあるのでたまに閉まってないまま爆走していることもあるが、一応開けてはダメなことになっているらしいので見つけても開けないようにしよう。

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フアランポーン駅を出ると、間もなく列車はスラムを通りぬけ、しばらくすると郊外をひらすらまったりと走る。個室の電気を消灯させ、バンコク郊外のエキゾチックな流れる夜景をチャン・ビアをあおりながら楽しむ。欧米からの旅行者が多いので、やたらとにぎやかな雰囲気になることも覚悟していたが、意外なほど静かで、列車の走行音のみが耳に入ってくる。

夕飯予約の時間も近くなり、車内探検も兼ねて食堂車へ向かうことにした。旧型客車の食堂車に向かうには、B寝台を何両も超える必要がある。早速移動してみるが、利用者は地元の人が乗っているのか不思議になるほど欧米人がほとんどである。ハイシーズンということもあるが、タイ国鉄の誇る特別列車であるため、やはり寝台の値段は高め。そのため必然的にインターネットで予約してきた欧米人で寝台が埋まる、という構図ができあがるようだ。酒を飲んで盛り上がっている車両、静かに夫婦が談話をしている車両さまざまで、B寝台を予約した場合どの車両に当たるかは運次第といったところか。

さて、数両のB寝台を越えると、ついに食堂車が見えてきた。日本の食堂車は全滅の危機に瀕しているため、往年の雰囲気が楽しめるだろうと思ってドアを開けると、そこに見えたものは信じられない光景であった。ボロボロの車両から聞こえてくるのは列車とは思えないダンスミュージックの重低音。LEDで装飾された薄暗い車両の中で欧米人がビール瓶を片手に声を張り上げ踊りまくっている。どうやらこの食堂車の実態はクラブ営業車であるようだ。彼らは列車だろうが何だろうか楽しければいいらしい。意表を突かれながらも、こうした雰囲気は苦手ではないので、気持ちを入れ替えてとりあえず席につくと、すぐに用意されていた料理が出てきた。蒸したチキンと魚介がいっぱいの皿に、ナンプラーの香りがするスパイスの効いたソース。見るからにタイっぽくてうまそうだ。ビア・シンをあけてさあ食べようかと思った矢先、自分の席の周りだけやたらとうるさいことに気づく。不思議に思って机の下を見てみると、テーブルの台座にウーファーユニットが括りつけられていた。タイ国鉄はこんなものを標準装備として車両に設置するのだろうか?ボーイが好きで勝手に持ち込んでやっているとしか思えないのだが・・・。(大体彼らが一番楽しそうだ)一人のスタッフがニヤニヤしながら天井の蛍光灯を抜いて車内を暗くすると、居合わせた乗客から盛大な歓声が発せられ、いよいよフロアのテンションは最高潮に。踊り狂っている欧米人を眺めながら、窓全開で爆走する食堂車で激辛のタイ料理を食らうという混沌の雰囲気を楽しんだ。こんなこと、日本だったら絶対に許してもらえないだろう。自由ってのは、いいことだ。

ちなみに全編成の中で、タバコが吸えるのは窓の開いているこの食堂車のみである。そのため、夜はそれ目的で漂流してくる欧米人と相席になることもしばしば。前の席に座ったヨーロッパ人と握手をして適当に英語で会話をした。でも、音がうるさすぎて何を言ってるのかさっぱりわからない。ドイツからチェコ・プラハに向かうシティナイトラインに乗った食堂車も、バーテンがジャーマンテクノをかけながら踊っていたけれど、今回乗った食堂車はそれをはるかに上回るぶっちゃけっぷりだ。これはたまたまなのかもしれない。それにしてもこの車両、今にもバラバラになりそうなほどバウンドしながら走行している・・・(揺れが激しい原因はのちにわかる)

食事を済ませ、部屋に戻る。良い感じにアルコールも回ってきたので、このへんで今日は休むことにする。

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イサーンの朝焼け

翌朝目をさますと、時計は4時を回ったところ。列車は相変わらずのろのろと走っており、太陽が今まさに顔を出そうとしているところであった。外の空気を吸いに、まだ寝静まっているB寝台を通りぬけ、食堂車に向かう。まさかこんな朝早くに営業などしていないだろうと思って戸をあけると、入るなりまたオレンジジュース売りがいらないかとセールスをはじめる。そう、もう朝営業が始まっているのである。タイ人恐るべし。毎回ここに来るたびに想像と違う光景で驚かされるが、昨日のどんちゃん騒ぎとは打って変わって、車内は静寂を取り戻している。これが本来の姿である。

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駅なのか信号所なのかよくわからないところに数分停車したのち、ゆっくりと走り始める。清々しい朝風が車内に入ってくる。見渡すと民家はほとんどなく、ひたすら田舎の中を大きなカーブを描いて走り続ける。窓の外を覗くと、長大編成がきれいな弧を描いている。食堂車だけが旧型車であるが、それにしても前後を挟む24系ブルートレインの車体は大きい。どうやらこの図体のでかさのせいで、活躍できる線区が限られてしまうらしい。

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紅茶を飲み終わり会計をしたあと、部屋においてきた荷物が心配になり、また自室へ戻る。

GPSを確認するが、時刻通りであるはずもなく、見当違いな場所をのんきな顔で走っている。ところでこのオロネA寝台車両には、JR時代から洋式トイレの反対側にシャワー室も備え付けてある。こちらも基本的には日本時代とあまり変わっていないが、シャワーカードを突っ込むとお湯が出てくるハイテクシステムなどあるはずもなく、蛇口をひねれば勝手に水が出てくるアナログ式に改造されていた。

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いよいよ山深くなり、携帯電話の電波も途切れ途切れ、つながってもEDGEとなりインターネットは遅くてとても使いものにならない。部屋に朝食が運ばれてくる。目玉焼き、トースト、紅茶にフルーツというスタンダードな構成だ。バターはすでに塗られてある。流れる自然の景色を眺めながら個室でゆっくりと寛ぐのは1等車ならではという感じがして実にいい。日本の寝台車にもこのくらいのサービスはあってもいいと思うが、人件費がバカにならないだろう。食べ終わった皿は、適当に室外に出しておけばあとはボーイが片付けてくれる。

山岳地帯に入ってしばらくすると、かなりの標高になっていることに気づく。そうして下を見ていると、あっ!と言うほど高い鉄橋を列車は渡る。ここはチェンマイまであと60キロというところにある区間。チェンマイ目前のハイライトだ。見逃したくない人は、タイミングを見計らって食堂車に陣取ると良い。

山を下り始めると、ボーイが個室をノックして、チェンマイ!フィフティーンミニッツ!と声がけをしにくる。ちなみに隣の部屋の女性はその時留守だったのだが、5分後に戻ってきた時もボーイはチェンマイ!フィフティーンミニッツ!と言っていた。実に適当である。

結局そこから20分くらい走ったと思うが、ついに列車は徐行運転をしながらチェンマイ駅構内に入線した!12:40着。定刻が9:45着なのでたっぷり3時間遅れたことになる。にもかかわらず、日本ではあたりまえの「申し訳ございません」という放送は当然一切ない。これがタイスタイル。まともに謝ってたらそれだけで一日が終わってしまうだろう。

久しぶりに車外に出ると、チェンマイの蒸し暑い空気が迎え入れる。昨日のバンコクとはうって変わり、ギラギラするほどの太陽が真上で照りつけている。乗客が外に出るやいなや、待機していた清掃員がポンプで水を車体にかけはじめる。ついたら即座にホームで清掃をはじめるのがタイ式らしい。30分程度停車したのち、機関車を最後尾にくっつけると回送がスタート。特別列車だからなのか、いつもは手荒な連結もかなりやさしく扱っている。汽笛を鳴らすと12両の編成を引き連れて奥の線路に引っ込めていく。700キロの長旅が今幕を下ろした。

このブルートレインを目的に乗ったと思われる定年を迎えた頃の男性もホーム先端でずっと回送を見守っていた。ブルートレインの旅に魅了され、海を渡って列車に乗ったのは、自分だけではないらしい。日本では希少となった、旅情をかきたてる、優雅で贅沢な旅が、ここにあった。海を渡った国鉄型ブルートレインたち───これからもずっと、タイの地で愛され、大切にされてほしいと感じた。

バンコク発チェンマイ行き元ブルートレイン 13番列車

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バンコク発チェンマイ行き元ブルートレイン 13番列車

タイブルートレインルポ、いかがだっただろうか?ちなみにチェンマイ駅では回送後、しばらくするとまたホームから見える位置に引き返して、また出したり引っ込めたりを繰り返していた。到着後も、好きな人ならばしばらく楽しめるだろう。そして降りて気づいたが、食堂車が車両中心部を頂点として左右がひん曲がっているように見える。タイの連結作業は、連結というより衝突なので、それを繰り返すうちにこの車両がこうなってしまったのかもしれない。よく脱線しないなと関心さえしてしまう。よくバウンドする食堂車は、こうして完成されたのかもしれない・・・

その後僕は、名物カレーヌードル「カオソーイ」を食べに、ソンテウに乗ってチェンマイの街へ繰り出した。

 


セカンドライフトレイン ニッポン列車異国紀行 タイ編~北線・東線の旅~「異国で再会、ブルートレイン!」 [DVD]

 

【完】

バンコク発チェンマイ行き元ブルートレイン 13番列車

バンコク発チェンマイ行き元ブルートレイン 13番列車

廃止直前きたぐに号 最後の583系定期列車に乗る旅


▲【写真】きたぐに号 過去に乗った直江津駅の写真

急行きたぐにが廃止されるーーー衝撃的なニュースが飛び込んできた。利用率低下により臨時列車化。北陸新幹線開業まで残ると信じていた583系の定期列車は姿を消す。僕が今まできたぐにに乗ったのは通算4回。米原から新潟、長岡から大阪、直江津から新津、糸魚川から大阪・・・寝台、グリーン、自由席のすべてを経験した。とはいっても、ただ目的地に向かうための移動手段ではない。僕は東京に住んでいるから、いずれも、目的地に行くことだけを考えれば日本海側を一切通らなくて済む旅行だった。しかし、あえて遠回りを選ぶのはきたぐ号という特異な存在そのもの、日本が持っていたエネルギーが作り上げた583系、偉大なる北陸本線、日本海の厳しくも美しい風景が織り混ざり、えもいわれぬ旅情をかきたてるからにほかならない。

きたぐに号から見れる風景は昭和そのものだ。大きい駅にも、小さい駅にもこまめに停車し、沿線から乗客を拾い、降ろして行く。終着駅まで行こうとする大きなスーツケースを持つ客もいれば、夜中にたった数駅間の移動をする人もいる。これらの風景は昭和ならどこを見てもあったと聞くが、いつのまにかこれほどまでに多くの用途で利用される夜行列車は、日本中どこを探してもきたぐに号が最後になってしまった。

しばしばライフスタイルの変化や新幹線の台頭でこうした夜行列車の需要が低下していると聞く。しかしきたぐに号と張り合えるライバルは今日まで存在しなかったし、それなりの需要もあったはずだ。(メディアに公開されるパーセンテージ上は低いが)
老朽化にしても、新幹線開業までは定期列車として走らせられるはずだ。40年選手の583系も、堅牢な車体設計と整備のおかげで良好な走行性能を維持し続けている。
だから残念ながら僕は廃止の理由が、結局面倒くさいからが本音なんじゃないかと思った。一日一往復のために583系を維持するのは、修繕やパーツ交換も金がかかる割に、もうからない。新幹線のような隔離された高規格路線ではなく、いくつもの在来線に跨り運転される長距離急行は、どこかで遅延が発生するとその先の行程に重大な影響を与える。そのために夜な夜な働かなくてはならない社員の人件費だって必要だし、遅延や運休にはJR東日本、西日本間での調整も必要である。これは仮に赤字にはならなかったとしても、明らかに儲かるビジネスではない。

JRと国鉄の大きな違いはここだ。国鉄はたとえ儲からなくとも、需要があれば(あるいはなくても)列車を走らせ続けた。だが民営化では限りある経営資源をより利益レバレッジの高いビジネスに集中的に投入する必要がある。それが新幹線のような「時代のスピードにあった乗り物」だ。今までだって、いつでもきたぐには廃止できたと思うが、一方でそれを使いたいとする需要も高かったはずだから、あとはタイミングの問題だったのだろう。正直新幹線開業までは残ると思っていたから、寝台特急日本海ともどもなくなってしまうのは驚きだった。やっぱり、北陸本線の輸送形態が大きく変わろうとしている中、昭和からほとんど変わらない夜行列車という存在を維持し続けるのは相当ムリがあったのかもしれない。


▲急行きたぐにのベテランコンダクター。以前訪れた夏の早朝の直江津駅。

僕は最後の昭和を垣間見るために、もう一度きたぐにに乗車することを決めた。もちろん、全線走破で。金曜日発の大阪行ききたぐに号、全車満席のキャンセル待ちを狙い、A寝台下段を予約した。

しかし早速肩すかしを食らう。日本海側は大雪の「予報」。同日の午前11時に早々と運休となってしまった。理由はわからなくともない。確かに2012年は特雪が何回も走るほどの記録的な大雪だ。でも他の特急はきちんと走っている。きたぐには夜行だから、性質が異なることは重々承知だが、これまで、運休なんて滅多になかった。数年前なら絶対に走っていたはず。走りたくとも走りだせないことが、なぜか自分のことのように、悔しかった。全席満席なのに、こんなに早くから見切りをつけられてしまった。結局、僕はこの日旅に出ることができなかった。


▲【写真】以前乗車したときのB寝台上段

翌土曜日も、運休した。同じように午前中のうちに、運休が決まった。でも実際には大雪ではなかったらしい。ならばなぜ走らないのか。もうきたぐにの時代は、完全に終わったってことか。もう乗れる機会はないのかもしれないと思い始めた。次の週の休みが、僕にとって都合がつけられる最後のチャンスだ。そう思い、翌週土曜日のB寝台下段を予約した。

当日は金曜日から雪が降り続けていた。金曜日の便は、ほとんど満席だったにもかかわらずまたもや運休。雪が降ったら運休という図式が完全にできあがっていたかのように見えた。しかも今日は暴風雪との予報。昨日より悪いじゃないか!だがもう、腹を括って東京の家をあとにすることにした。運休なら、それが運命だ。そう思って、大宮発十日町行きほくほく十日町雪まつり号に乗車した。

大宮運輸区所有の国鉄色183系がホームに滑り込んでくる。乗車率は窓側が中心に埋まるものの、空席も十分にありほどほどと言った印象。1時間もすぎると、ほっとするような田園風景に車窓が変わり、やがて雪で染まった。水上に着く頃には、外一面が真っ白になるほどだった。しきりにiPhoneで、長距離列車の運行情報をリロードした。11時、12時、13時・・・まだきたぐにの情報は入ってこない。ロードするたびに、心臓の音が聞こえるようだ。
運転するのか?それともどんでん返しか?そんな不安がつきまとう中、ついに列車は越後湯沢に到着した。


▲【写真】はくたか号と並ぶほくほく十日町雪まつり号

もし運休なら、越後湯沢で気楽に観光して引き返すつもりだったが、まだ何の情報も入らない。駅ナカの温泉につかり、茶漬けを食べ、日本酒の試飲コーナーで新潟県のうまい地酒を飲み、できる限りエンジョイした。まだ運休の二文字はない。時計はすでに16時。決断した。よし、今日は走ってくれるってことだな!そう信じ長岡行の普通列車に乗り込んだ。


▲【写真】長岡駅到着時には雪まみれとなった115系

今回の旅は、本気だった。西村京太郎のトラベルミステリーを古本屋で買ったりして、サスペンスドラマと同じ情景を現実で見ながら移動を楽しんだ。長岡に着く頃には、115系はすでに雪まみれ。ダイヤも少しだけ、遅れた。続けて長岡からは、新潟行きくびき野に乗車。奮発してグリーン車に乗車。自由席は混み合っているが、アッパークラスは自分だけで貸し切り状態。快適なソファに腰掛け、優美な時間を愉しむ。やっぱり首都圏のグリーン車と違い、重厚感とぬくもりがある。ホームは閑散としているのに、ちゃんとグリーン車がつながっている。このギャップがたまらない。


▲【写真】土曜日はがらがらの半室グリーン車


▲【写真】半室指定席車両から見るグリーン車のドア


▲【写真】折り返しを待つくびき野号

新潟に到着。くびき野は小休憩のあと、すぐさま直江津方面に折り返して行った。そして問題のきたぐには、今日こそ運転されるらしい!再会が、目前に迫った。


新潟駅に付随する飲食店で、民謡を聞きながらイカ焼き定食を食べる。軽く醤油をかけたイカを、コシヒカリと一緒に頬張り、外に積み上がった雪を眺めながらビールを楽しむ。それにしても今日は、東京では味わうことができないぜいたくな時間を味わっていることを実感する。

店を出たあと、まだ時間があったから、ワインをのみながら到着を待つことにした。僕は旅行をしながら、次の旅行の計画を立てるのが好きだった。そうすれば今の旅行が終わった後も、充実感とともに次の旅行への思いをはせることができるからだ。きたぐにがなくなったら、もう僕が魅力を感じる列車はもうほとんどない。残りはブルートレインくらいだが、おそらく国鉄型が無くなったらもう乗り鉄なんてしなくなるだろう。それでも乗り鉄をするとしたら、客車の雰囲気が存分に味わえるヨーロッパか東南アジアか・・・。日本の鉄道は、便利でスマートになりすぎ、移動以外に感じられた楽しさが何時の間にか消えて行こうとしている。

ついにホームに降りた。すでにかなり多くのファンが入線を心待ちにしている。雪の中に映る白い吐息の多さが改めてこの急行の人気の高さを物語っていた。

3灯の特徴的な明かりが遠くで見えた。きたぐにだ!その場にいた全員が、熱い視線を向ける。老いを感じさせない洗練されたフロントマスクとともに、長い長い後続車両がゆっくりとホームに入り、静かに止まった。最後尾の車両は空港に降り立った人気俳優のようにフラッシュを浴びせられている。僕はすべての車両を眺めるため、ゆっくりとカメラを回しながら先頭車に向けて歩き始めた。自由席、グリーン車、寝台車と、それぞれの窓の中にいる乗客にはそれぞれの物語があるような気がした。広い四人がけのクロスシートに腰掛けて窓の外をみている人たちは、どこまでいくのだろうか。

先頭車両のホームは雪に覆われており、到達するのも一苦労だった。まともな写真はとれなかったけれども、楽しげに記念撮影をする家族やファンの姿が印象的だ。そろそろ自分のベッドに行こう。9号車3番の下段へ、通路を進んだ。


▲【写真】新潟駅で発車を待つ583系きたぐに号

あっという間に発車時間となった。急行きたぐにはゆっくりと、静かに、新潟駅をあとにした。電子オルゴールのメロディーが鳴り終えると、関西弁の車掌がこれからの行程を案内する。小さな町の駅にも停車を行い、少しずつ乗客を拾い、そして少しずつ降ろしていく。この列車の性格は、そのルーツを遡る1960年代の夜行列車時代から何ら変わっていない。新津、加茂、東三条。停車をこなすたびに、雪が容赦なく入り込み折戸式ドアの周りには一瞬で吹き溜まりができる。そして再び走りだすと、雪の積もった通過駅のホームには、もう誰も人の影がなくなった。日本海側の雪は、想像以上に過酷だ。その雪が吹きつける厳しい闇の中を、きたぐにはひたむきに大阪を目指して走り続ける。

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新潟駅で買ったビールをあける。僕の乗った8号車は、三段目の寝台までほぼ満員という乗車率であったにもかかわらず、人の気配を全く感じないほど静まり返っていた。凍てつくような吹雪の夜。夜景という言葉の持つイメージとはかけ離れた車窓を覗きながら、少しだけセンチメンタルな気分に浸る。今日のきたぐには、いつもより昭和という時代に、近付いている気がする。

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夜は更け、長岡、日付が変わって直江津に到着する。吹雪はさっきよりも弱くなった。しかし、屋根があるはずのホームの下に、大量の雪が降り積もっている。ダイヤも20分ほど遅れているようだ。しばらく停車したのち、発車。さすがにもう遅い時間なので、明日に備えて寝ることにした。

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暗闇のなかで目を覚ます。時計を見ると、もう少しで朝の5時半という時刻だ。列車は走っている気配がない。カーテンを開けると、目の前には人の背丈よりもはるかに高いと思われる雪の壁があった。どうやら大雪の影響で、列車は止まっていたらしい。しばらくするとゆっくりと走り出し、駅に滑り込んだ。どこの駅だろう。眠い目をこすると、遠くに福井という文字が見えた。なんとまだ福井駅にいた。外は真っ暗だが、もう時計は6時を回っている。写真のフラット音を響かせながらゆっくりと発車すると、今朝初めての車内放送が始まった。どうやら先行する貨物列車が車両不具合をおこし、どこかで足止めを食らっていたらしい。目を覚ましたら北陸は抜けているだろうと思ったが、そんな甘くはなかった。たっぷり2時間遅れている。

夜空は次第に朝焼けになり、そして太陽が見え、青空になっていく。ついに吹雪は消え去った。列車は順調に飛ばし、かなりのスピードをキープできるようになった。米原駅を過ぎると、田園地帯が一面真っ白になっていた。しかしその銀世界の真中で、大きなズームレンズを構えたファンが一列に並び、夢中でシャッターを切っている姿が見えた。少なくとも2時間前にはここを通り過ぎているはずだから、ずっと彼らはここで待っていたのかもしれない。もう、さようならまでのカウントダウンは、とっくに始まっていることが実感できた。雪まみれになりながら猛スピードで疾走する老雄の姿は、きっと勇ましかっただろう。列車が進むに連れて雪はどんどん量が減り、京都につく頃には皆無となった。ここから比べると北陸の景色は異世界かもしれない。平和な日常へとたどり着き、ほっとした気持ちなる。京都を後にすると、最後の力走。あっという間に大阪へと到着した。

待ち構えていたファンがきたぐにを迎え、北陸の雪がついたフロントフェイスにレンズを向ける。太陽の光のもとで、今回はじめて583系の姿をあらためて眺める。重厚だが洗練されたデザイン、卓越したエンジニアリングで生まれた画期的な車両は、これからも、ずっと走り続けられそうな気がした。本当はそうであってほしいが、もう定期運用はあと数日をもって終わる。ここまで続いた、昭和の伝統が、今まさに消えようとしている。到着が遅れたため、もう回送が始まるようだ。僕は最大限の敬意を持ってきたぐにを見送ることにした。ありがとう。急行きたぐに。

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※一応ビデオを回していたのだが、回送シーンはカメラの前に出てきたおっさんの顔しか映っていないので、これはお蔵入りとさせていただく。その代わりとして、これまで乗った際の回送シーンを、掲載したい。